引き続き『「戦争」の心理学 人間における戦闘のメカニズム』を読んでいます。約600ページもあるので読み終えるのに時間がかかりそうだな、と思っていたら、理論だけでなく現場での事例や体験談等が盛り込まれているので、思わず読み進んでしまいます。人を殺す/人が殺される場面を扱った本に軽々しく「面白い」などという言葉を使うべきではありませんが、少なくとも興味深い内容であることに間違いはありません。
で、本書の第6章「自動操縦」に、こんな事例が登場します。ある警察官が、現実にやってしまった話:
ある日、彼はパートナーと別々に通路を捜索していたが、最初の通路の端まで来たとき、問題の人物がかどをまわって姿を現し、リヴォルヴァーを突きつけてきた。まばたきの間に彼はピストルを奪い取り、その速さと巧みさで相手の度肝を抜いた。しかし、相手がそのあといっそう度肝を抜かれたのはまちがいない。
……信じられないことに、彼は奪い取ったピストルを、たったいま奪い去ったばかりの相手=犯罪者に差し出していたのだそうです。いったい何故こんなことをしてしまったのでしょうか?
その答えは、この話の前半部分にあります。
不適切な行動がしみついてしまったもうひとつの例を、ある警察官が教えてくれた。彼は、敵の武器を取りあげる訓練をすることにした。妻や友人やパートナーに頼んでピストルをこちらに突きつけてもらい、それをすばやく奪い取る訓練をするわけだ。ピストルを奪うと、それを相手に返してまた一からくりかえす。
つまり「ピストルを奪う」という練習をしているつもりが、「ピストルを奪って相手に返す」という練習になってしまっていたために、実際の場面でも“練習の通り”相手に返してしまったわけですね。ある意味、練習の成果が出たわけですが、これでは本末転倒です。
本書では、同じような事例がいくつか紹介されています。射撃訓練の際、空薬莢を後で拾い集めるのが手間なので、6発撃ったら空薬莢を手のひらに出してポケットに入れる->それから再装填する、という「練習」」をしていた警官たちが、実際の犯罪者と対峙した時に同じように「薬莢を手のひらに出して、ポケットにしまって、それから再装填する」という行動を取ってしまったという例。容疑者役の犯人に、指で銃を持っているマネをして突きつけ、大声で命令を発するという訓練をしていた警官が、現実に犯罪者を逮捕する際にも指を突きつけてしまったという例。射撃場で訓練する際、銃を抜き、二発打ち、ホルスターに収めるという行動を指示されていた警官が、現実の撃ち合いの際にも「二発撃ったらいったんホルスターに収める」という行動を取ってしまったという例。すべて現実にあったそうです。
「徹底して訓練し、体に覚え込ませておくと、いざという場面で体が勝手に動いてくれる」という話は、特にスポーツをされている方なら馴染み深いものだと思います。それが本当の話だからこそ、上記のような「練習でやっていた行動が、現場でも出てしまった」というケースが生まれてくるわけですね。ところが何故か、「ピストルを相手に返すという部分は“練習”だからで、現実にはしない」「空薬莢をちゃんとしまうのは“訓練”だからで、現実にはしない」という認識になってしまい、実際には身につけてしまってはいけない行為まで反復して練習してしまう――警察や軍隊だけの話ではなく、私たちの生活全般でもあり得る話ではないでしょうか。
という話を踏まえて、本書ではこんな格言が引用されています。
習慣にしたいと思うことは続けよ。習慣にしたくないことはおこなわず、ほかのことを習慣づけよ。
――エピクテトス(後1世紀)『語録』「いかに形象と戦うか」
「この部分は練習だから繰り返しているだけで、現実の場面ではやらない」と自分の頭を信じるのではなく、いざという場面では体に染みついた記憶の方が先に出てしまうのだと理解して、普段の練習メニューを考えなければいけないわけですね。
>つまり「ピストルを奪う」という練習をしているつもりが、「ピストルを奪って相手に返す」という練習になってしまっていたために、実際の場面でも“練習の通り”相手に返してしまったわけですね。
コレを見て、パトレイバー後期OVA「グリフォン復活」のピースメーカーを思いだした人って、少ないだろうな。非常に高度に進化した人工知能/ニューロコンピュータならそういうこともありえるのかも。
http://www.discas.net/netdvd/goodsDetail.do?titleID=0087392225
投稿情報: | 2008/09/20 15:06