プロ野球開幕にかこつけて、今日は『マネー・ボール』の中にある一節を紹介してみたいと思います。
スカウト業界にはポールの興味をそそる特徴がいくつかある。第一に、野球経験があるスカウトはつい、必要以上に自己経験と照らし合わせて考えようとする。自分の経験こそ典型的な体験だと思いがちだが、実際はそうでもない。第二に、スカウトは、選手の一番最近の成績ばかりを重視する傾向がある。最後にやったことが次にやることだとはかぎらない。第三に、目で見た内容、見たと信じ込んでいる内容には、じつは偏見が含まれている。目だけに頼っていると錯覚に陥りやすい。誰かが錯覚に惑わされているとき、現実を見据えられる別の人間にとっては金儲けのチャンスだ。野球の試合には、目に見えない要素がたくさんある。
これは当然ながら野球について語った文章なのですが、「野球」「スカウト」を別の単語にしても当てはまる話ではないでしょうか。「開発現場/プロジェクトマネージャー」や「コンサルティング業界/コンサルタント」などなど……それだけ人間は、過去の経験や目の前に見えるものに引きずられてしまうのだということを示唆している言葉だと思います。
『マネー・ボール』では、野球をまったくプレーしたことのない人物たちや、野球界では異端とされていた人物たちが、(野球界にドップリと浸った人々から)批判や嘲笑を受けつつも新たな世界を切り開く姿が描かれています。印象的なのは、そういった人々が私たちとは全く異なった見方で「野球」というゲームを捉えているところ。ビリー・ビーンに象徴される彼らは、野球を統計学的手法で分析することを重視して、例えば「出塁率と長打率が重要」といったルールを編み出します。その姿を見ていると、同じ世界を見ているにも関わらず、まるで彼らだけ異次元にいるかのようです(ビリー・ビーンにとっては私たちの見方の方が「錯覚」で、彼らの方が「現実を見据えている」のでしょうが)。
生物学者のヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した「環世界」という発想があります。簡単に言えば「生物が主観的に捉えた世界」とでもいった意味で、例えば人間とアリは同じ「環境」にいたとしても、違う「環世界」を見、その中で生活していると考えられます。だからこそアリは人間並みの感覚器官・頭脳を持たないにもかかわらず、高度に組織化された行動を行うことができるわけですね(仮にアリが人間と同じ「環世界」で行動することを強いられたとしたら、たちまち絶滅してしまうでしょう)。あまりアナロジーで議論するのは危険ですが、『マネー・ボール』でデータに基づいて球団を運営しようとする人々は、まさしく新しい環世界を見出したと言えるのではないでしょうか。
同じ世界を見ながら、そこに別の構造や意味を見出す。それは既存のルールに乗らないという点で、ニッチ戦略とは微妙に異なります。弱者の立場で強者に対抗しようとした場合、安易にニッチ戦略を採用しようとするのではなく「いっそのこと人間をやめて、アリになってみよう」と考えられるかどうか。弱者のままで良い、細々とでも生き延びられれば良いと考えているのでなければ、たまにはそんな「異次元を見出す」努力も必要なのだと思います。
コメント