「豚インフルエンザ」(現在は「新型インフルエンザ」という呼称が使われていますが)って、てっきり最近になって問題視されるようになった存在だとばかり思っていました。しかし書店でこんな本が登場しているのを知り、それが誤解だったと知った次第です:
豚インフルエンザ事件と政策決断―1976起きなかった大流行 Richard E. Neustadt 時事通信出版局 2009-10 売り上げランキング : 12026 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
約4,000円で400ページ超という分厚い本なのですが、どんな内容なのかは本書の解説を抜粋してしまいましょう:
1976年、合衆国政府は、豚インフルエンザと呼ばれる新型のウィルスによるインフルエンザの世界規模の大流行の脅威から国民を守るために、全国民へのワクチン接種事業に着手しました。前代未聞の大規模な試みでした。ワクチンを受けた人数――10週間で4,000万人以上――といった点では、まずは限定付き成功だった反面、論議の沸騰、計画からの遅れ、行政上のトラブル、法的紛糾、予想外の副作用の出現といった出来事が相次いで起きたために、この試みについては公衆衛生当局に対する国民の信頼を急速に失墜させてしまったという評価があるのも事実です。そして何より予想していた脅威はやって来ませんでした。
この試みが終わりを迎えた頃、私たちは、当時新しく保険教育福祉省(HEW)の長官に就任したばかりだったジョセフ・カリファノ氏から、この事業の全体像について検討し、自分が将来同じような問題で決断を下したり事業を監督したりしなければならないときの参考資料として、個人的に学べるような形で報告書を提出してくれないかと依頼されました。私たちはそれを引き受け、1年後の1978年2月の終わりに草稿の形で報告書を提出しました。そしてその後、長官の合意の下、3月から6月にかけてこのレポート草稿をつくるに当たって中心的な役割を果たした何人かとともにこの草稿の見直し作業を行い、また長官の要求に応えてさらにいくつかの点について調査を行い、6月に最終報告書を提出しました。そして1978年10月、長官はそれを政府報告書『豚インフルエンザ事件――つかみどころのない病気に対する政策決定』として世に出したのでした。
つまり1976年にも豚インフルエンザの流行が予想され、それに対して大規模な対策が実施されたにも関わらず、結局パンデミックは起きなかった――それどころか、ワクチン接種による副作用の方が問題になってしまったという事態があり、その背景を探るのが本書であると。この副作用についても、恥ずかしながら僕は初耳だったのですが、極東ブログにこんな解説がありました:
■ 1976年のギラン・バレー症候群 (極東ブログ)
この1976年の事例が、「豚インフルエンザが人へ感染した最初の発見例」でもあったが、「この時の感染は基地内にとどまって外部での流行は無」かった。結局のところ、豚インフルエンザによる死者よりも、ワクチンの副作用によるギラン・バレー症候群による死者のほうが上回ることになり、米国に苦い経験をもたらした。
ギラン・バレー症候群というと、最近は大原麗子さんが罹っていた病気として注目されましたが、こんな形で豚インフルエンザにも関係していたとは。いずれにせよ、結果的に見れば「大失敗」だったこの1976年の政策決定を、改めて分析してみたのが本書『豚インフルエンザ事件と政策決断』なわけですね。
しかし本書は「コイツがアホだったから政策が失敗した」などと糾弾する内容ではなく、「いかにこの種の問題で正しい対策を実行するのが難しいか」を説明することが目的となっています。その証拠に、報告書の作成を指示したカリファノ氏(当初は前政権の失敗を非難していたとのこと)は、
「これを調べた後、私は1976年当時、私自身あるいは他の誰がその場にいたとしても、豚インフルエンザに対しては前政権が下した決断と同じように決断するしかなかったかもしれない、と思うようになりました」。
とコメントしているそうです。
ということで、まだ買ったばかりでほとんど読んでいないのですが、これはなかなか面白い一冊になりそう。もちろん「面白い」などという事態にはならないで欲しいテーマなのですが。
ちなみに本書の紹介文で、カーネギー協会会長のデヴィッド・ハンブルグという方がこんなことを述べています:
本書は、公衆衛生キャンペーンを報道するメディアのパワフルさや、やたらと話を大きくしたがる性格を、明らかに幅広い国家的関心事となっている他の事業をも意識しつつ見事に描き出している。これは、公衆衛生的介入をはるかに超えるさまざまな公共政策を実行しようとする場合にも、大いに関連してくるものである。また、問題となっている事柄があまりにわかりにくい上に、一応権威者とされる人々があまりに大勢現れた場合、メディアはどうすれば一般の人々にとってわかりやすく信用のおける情報を獲得できるかということにも、いくつかの問題がワンセットとなって関連していくのである。さらに言えば、メディアは正確な科学的情報をただ受動的に受け取るだけではない、メディアは、多くの科学者にとって思いもつかないようなやり方で情報を変質させる傾向を持っている。メディアは対立をことのほか好み、対立を増幅させる傾向を持っている。これらの、そしてさらにいくつかの理由から、より適切な公共政策を求めようとするなら、メディアの行動に関する分析はますます重要となってくる。
残念ながら、マスメディアがセンセーショナルな方向に走ってしまうのは何処も同じなようで。本来であれば、政策決定者が「メディアの行動に関する分析」などという余計な手間を取らなくてもいいような世界であることが望ましいのですが。
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