最近忙しくてマトモにニュースをチェックしていないので、もう1つタグについて考えていたことを。タイトルは正確に言えば「ソーシャルブックマークのタグ付けはフォークソノミーと相容れない要素もある」とした方が良いかも。
昨日のエントリで「同じ人物であったとしても、時と場合によってタグの付け方に差が出るのは仕方ない(だって人間だもん)」という内容を書いたのですが、ではその差を無くすにはどうすれば良いのでしょうか。ここで言う「タグ」とは、ソーシャルブックマークでタグ付けを行うことを想定しているので、ソーシャルブックマークを使用する場合で考えてみたいと思います。
ソーシャルブックマークを利用する目的は、言うまでもなく「後から読み返したい・利用したいと思ったWEB上のコンテンツを記録しておくため」です。タグは記録しておいたコンテンツを検索しやすくするために、インデックスとして付与されます。であれば、ソーシャルブックマークにおけるタグ付けは、「後でコンテンツを利用しやすい」という基準で行われるべきでしょう。「その記事に何が書かれているか・記事のテーマは何か」という基準ではなく。
問題は、「どういうルールなら後からコンテンツを利用しやすくなるか」というのは人によって千差万別ということです。例えば僕の場合、最近新聞をスクラップしているのですが、整理する前の記事(新聞をコピーしたA3の紙)に付箋を貼っています。そこに何を書いているかというと、「これはPolar Bear Blogでネタにできるかもしれないから『P』という印」「オルタナティブ・ブログでネタにできるから『A』」「これは重要・絶対に書きたい内容だから『◎(二重丸)』」といったような内容です。こうしておけば、後でそれぞれのブログに絶対書こうとしている記事を見つけて、利用しやすいわけです。
これをもしソーシャルブックマークに置き換えたとすると、タグには「P」「A」「◎」「△」といったような意味不明の記号が並ぶことになります。また「記事を読んだ日時を思い出しやすい」という人もいるかもしれません(ちなみに日時というのは人間にとって、最も自然な記憶のインデックス方法とのこと・・・出展忘れました)。そのような人々にとっては、「2006年4月1日午前0時」といったタグ付けが適切なわけです(ほとんどのソーシャルブックマークサービスでは、登録した時間が自動的にインデックスとして記録されますが)。このようにそれぞれのユーザーが「自分にとって最適なインデックス方法」を追求し始めると、実は他人にとっては意味をなさないタグで溢れることになるのではないでしょうか?
もちろん人間の考え方はそれほど差があるわけではありませんから、同じようなインデックスルールでタグ付けをしている人がいるかもしれません(まさか「Polar Bear Blogに適切なネタ」なんて意味のタグを付けてくれる人はいないと思いますが・・・)。ここで言いたいのは、「ソーシャルブックマーク本来の目的に合う形でタグ付けをすると、フォークソノミーの考え方に反する結果になるのではないか?」ということです。
現状のソーシャルブックマークサービスでは「後でどう利用するか」ではなく「何が書かれているか」を示すタグを付ける人がほとんどですから、「ユーザーみんなで書かれている内容で分類する」という結果に近くなり、フォークソノミーが実現されています。しかし「書かれている内容でタグを付ける」という行為は、ソーシャルブックマーク本来の目的を阻害するものではないでしょうか?
最後に免責事項:限られた時間で書いたので、論理の飛躍はお許しを。いつものようにコメント大歓迎ですので、暖かく指摘していただければ幸いです・・・。
<追記1>
本文にある「日時というのは人間にとって、最も自然な記憶のインデックス方法」という引用ですが、確か最近読んだ『99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』の中に出てきたような出てこなかったような・・・。いずれにせよ、僕が言い出した意見ではありません。どなたかWEB上に似たような文章があったら、ぜひ教えて下さい!(個人的にこの意見にすごく興味があります)
<追記2>
久々に「はてブ」のコメントにコメント。
”それって「ソーシャル」ブックマークでやらなくてもいいんじゃないの?(共有を考えない只の)オンラインブックマークとソーシャルブックマークは分けて考えるべきだと思う。”
確かに仰るとおり。本文で書いているのは「後で自分が使うためのブックマーク」なので、もしローカルでタグが付けられるブックマーク機能がWindows標準だったら、そっちで実現すれば良いことでしょう(ソーシャルブックマークで「プライベート」モードにしておけば同じことだろうけど)。
ただ、あくまでも議論を深めるために反論させて下さい。『ソーシャル』ブックマークの目的が他人とデータを共有することであれば、そこに付与するタグは「他人から分かりやすいこと」を念頭に置いて考えられたものであるべきだ、ということになります。つまり「僕は『カレーうどんの専門店』って記事を読んで『カレー』というタグを付けるほうがいいと思うんだけど、『うどん』というタグの方が皆には分かりやすいよな」という考え方が必要なのでは?ということです。
であるとすると、
- 他人の思考を正確に予測してタグ付けすることなどできない。よって「他人のために付けられた」タグを集約しても、それはフォークソノミーとして有効なデータとなりえない。
- 他人のためを思ってタグ付けする人がどこまでいるのか。多くはいい加減にタグ付けするだろうから、それを集約してもフォークソノミーとして有効なデータとなりえない。
という反論が可能になる気がします。
あくまでも「タグって何?」を考えることが目的なので、ソーシャルブックマークやフォークソノミーを否定されたと感じられた方がいたら許して下さい。本意ではないです(免責事項)。ただWeb2.0と一緒に「タグ」という概念も普通に使われだしているように思うのですが、突き詰めて考えてみるべき奥深い世界だよねん、ということです。
Folksonomy には、Broad Folksonomy と Narrow Folksonomy というのがあるという議論があります。ちらっとググると、以下のようなサイトにあたります。最初の方は Thomas Vander Wal、Folksonomy という言葉をいい始めた人の説明です。
http://www.vanderwal.net/random/entrysel.php?blog=1635
http://www.hyperorg.com/blogger/mtarchive/003840.html
僕の理解では、Narrow Folksonomy というのが、いまここで議論されているような、個人(あるいは知識を共有する小さなグループ)の記憶としての属性付けで、“「A」「◎」「△」といったような意味不明の記号が並ぶ”ことも許容します。
翻って、Broad Folksonomy とは蓋然的結果だと思うんですね。いわゆる Social Bookmark Service では、ある程度の量の人が一つの URL に大して判断を下せば、それなりに粒のそろった結果が導かれる、ということを信頼して、その点をうまくデザインすることで、Broadcasting な効果を持ちます。
(蓋然的とは僕が以前書いたエントリ、というか翻訳を)
http://blogs.grf-design.com/archives/2005/12/post_4.html
ここでおっしゃられている“ソーシャルブックマーク本来の目的”というのは、どうやら Broad Folksonomy に関することのようです。であるとすると、『(Narrow Folksonomyの)タグでは、(Broad)Folksonomy を実現できない』とタイトルを言い換えられそうですが、それは“ミクロに存在する小さないい加減さ”で“マクロな効率”を懐疑する、ということな気がします。
投稿情報: tksh | 2006/04/21 13:57
なるほど、情報ありがとうございました!時間が無くてまだよく読みこめていないのですが、僕が感じていた疑問に役立ってくれそうです。
フォークソノミーに"Broad/Narrow"という視点があることは初耳でした。確かにマクロ/ミクロという視点で捉えることは重要かもしれませんね。仰るとおり、僕の感じていたのは"Broad Folksonomy"の目的をどうタギングで達成するのか?という点だったのですが、ミクロ→マクロの関係をもう少し考えてみたいと思います。
投稿情報: アキヒト | 2006/04/21 14:36
私が『カレーうどんの専門店』って記事を記録するなら[gourmet][lunch]もタグとして付けます。([curry][noodle]も付けるでしょうけど)
全文検索で引っかかるような単語であればGoogleやSpotlightなどの機械に任せれば済みますが。人間が解釈しないと分からない属性は、人間がタグとして付けないとなぁ。とは思います。
あと「自分自身の為に記録する」というのを最優先にするのもコツではないかと思っています。
投稿情報: otsune | 2006/04/21 15:27
そうですね、全文検索で引っかかる単語であれば、機械的なキーワード検索でも良いわけですし。人間でしか判断できないコンテキストをインデックスとして付与できるというのが、タグ付けの価値なのだと思います。ただそのコンテキストが、時と場合とバイオリズム(機嫌が良いか悪いか)で変わってしまう・・・という可能性を最大まで突き詰めると(突き詰めるなよって話ですが)タグ付けの限界というか、注意しなければいけない部分が見えてくるような気がします。
「はてブ」でも指摘されてたので、とりあえず『カレーの専門店』には「グルメ」「カレー」「うどん」でタグしときますw
ついでに「家族で」「六本木」「ビジネスモデル」かなぁ。
投稿情報: アキヒト | 2006/04/22 04:51
>「僕は『カレーうどんの専門店』って記事を読んで
>『カレー』というタグを付けるほうがいいと思うんだけど、
>『うどん』というタグの方が皆には分かりやすいよな」と
>いう考え方が必要なのでは?ということです。
tkshさんも上でおっしゃられてますが、データ量の問題に帰結すると思います。そしてポイントは、ソーシャルを意識した場合、「タグ付けも曖昧なら、検索もまた曖昧になる」という事です。
仮にブックマークしている人が1人で『カレー』としかタギングしなければ、『うどん』で探す人は到達できないでしょう。
しかし、100人の人がブックマークすれば『カレー』とタギングする人もいれば『うどん』とタギングする人もいるだろうし、『カレーうどん』あるいは『Curry』とか『おいしい店』とタギングするかもしれない。
そうすると、『カレーうどん』というタグでのデータ密集度は下がりますが、代わりにその他さまざまなキーワードで検索にひっかかる可能性が広がることになります。人によってタギングにブレがあることが逆に、ソーシャルな面からは検索の窓口が広がることになります。
このあたりの話はタグの種類がある程度絞られて統制が取れているdel.is.us vs タグが乱立気味のはてなブックマークという構図でエントリーされていることが多いです。
もちろんどちらが良いかは一長一短なので、使うスタイル次第といった所じゃないでしょうか。
投稿情報: tak.hasegawa | 2006/04/22 08:32
確かに問題はデータ量と、サイトの性格付けという点にありそうですね。「自分勝手なユーザーが好き勝手なことしかしない」ソーシャルブックマークにおいては、理論的には100人が100通りのタグを貼ることが考えられるわけですが、実際にはダブる部分が必ずあるわけですし。そのような環境においては、仰るとおりタギングにブレがあることが逆に、検索の間口を広げる結果につながると思います。
>このあたりの話はタグの種類がある程度絞られて統制が取れているdel.is.us vs タグが乱立気味のはてなブックマークという構図でエントリーされていることが多いです。
なるほど、「del.icio.us vs. はてブ」という比較は面白そうですね。システム・仕組みだけに止まらず、「住人」の性格や文化・サブカルチャーの比較までしたら深くなりそう。
投稿情報: アキヒト | 2006/04/24 17:53