竹書房文庫から11月に発売されたSF小説『ダリア・ミッチェル博士の発見と異変』を読み終えたので、感想を少し。
この作品は「2028年に出版されたノンフィクション本」という体裁を取っていて、内容もさまざまな関係者へのインタビューや公的記録、個人が記した日記など(を装った文章)で構成されています。その目的は、2023年に起きたある事件の顛末を描くこと。映像作品の世界には、フェイクでありながらあたかも本物のドキュメンタリーのように映像を綴る「モキュメンタリー」という手法がありますが、それを文章で表現したような体裁になっています。
では2023年に起きたのはどのような事件だったのか。前述の通り、本書は2028年に出版されたという体になっている、つまり読者はみなその事件についてある程度の知識を持っている前提になっているため、冒頭で全容がネタバレされます(あくまで2021年を生きている私たちにとってのネタバレ、ということですが)。「前書き」の最初の2ページで得られる情報だけをまとめてみても、こんな感じ:
- 2023年10月17日、ダリア・ミッチェルという天文学者が、銀河の遥か彼方にいる未知の知的生命体が発した信号(パルス)を発見し、それは「パルスコード」として知られるようになる
- パルスコードはメッセージではなく、人類の脳を変化させる「生物学的ツール」で、世界の全人口の約30パーセントが影響を受けた
- パルスコードの影響を受けた人には、重力波を感知できるようになる、X線写真のように体内を透かして見られるようになる、極めて難解な数式を理解できるようになるといった変化が見られ、そのため一連の現象は「上昇」、影響を受けた人々は「上昇者」と呼ばれるようになった
- しかし上昇者の多くは脳の変化に肉体がついていけず、上昇の過程で命を落とした
- 生き延びた上昇者たちも、この世界から姿を消し(その数30億人)、その結末は「終局」と呼ばれるようになった
ということで、要は謎の異星人(作品内では「優越者」と呼ばれています)によって引き起こされた「上昇」と「終局」を描くというのがこの作品のすべてになります。以上。
……というわけにはもちろんならなくて、この大筋以外にも、SF作品として読者を楽しませてくれるプロットが散りばめられています。そもそも優越者は、なぜこのような大惨事(「終局」後の世界は社会が大きく後退しているという描写がなされており、その意味で本書は一種のポストアポカリプス作品と言えます)を人類にもたらしたのか。消えた上昇者たちはどこへ行ったのか。他にもいくつかの伏線があり、「終局」というあらかじめ予定された結末に向けて、ストーリーを盛り立ててくれています。
そしてもうひとつ。本書の魅力として、現在の社会をリアルに描いている点を挙げておきたいと思います。
モキュメンタリー風の作品なので、これはある意味で当然の話ではあるのですが。しかしリアル感を出すために挿入される社会現象や小道具のチョイスが上手く、個人的には、一連のSF的な要素を除けば「2021年に起きた事件のノンフィクションですよ」と言われても信じてしまいそうなほどでした。
たとえば。パルスコードによって強制的にアップグレードされた「上昇者」たちは、非上昇者から当然のように差別を受けるのですが、それによって生じた社会的混乱の程度は、「上昇」以前に社会的分断が大きかった国々ほど重症だったことが説明されています。また上昇は政府の陰謀だという陰謀論を唱える人々や、そうした陰謀論をまき散らすデマサイト、さらにはディープフェイクを使った偽動画で上昇者を攻撃する人々まで現れ、悲惨な事件が起きたことが描かれます。他にもダークウェブやダークツーリズム、情報公開におけるマーケティング戦術などなど多様な小道具が登場し、「確かに現実に『上昇』が起きたら、こんな反応が出てくるだろうな」という気にさせられます。
もちろんそんな社会的テーマを読み取らなくても、娯楽作品として楽しめる一冊になっています。読後の余韻は……誰目線に立つかによって変わる気がする。個人的には、「非上昇者としてポストアポカリプス世界に取り残された人間」という目線で読み終えたので、何とも言えない虚しさを覚えたのですが。ただ「訳者あとがき」にあるように、「読後感は意外なほど明るい」と感じる人も多いかもしれません。
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