今日、10月15日は「ブログ・アクション・デイ(Blog Action Day)」。世界中のブロガーが同じ日に同じテーマで語り合うことで、世界を変えていこうというこのイベント。2008年のテーマは「貧困」ということで、僕も微力ながらこの問題について少し。
正直な話、「貧困なんて言われても、そんな大きなテーマ自分にはどうすることもできない」と感じる方が多いのではないかと思います。しかしいくら無視したとしても、世界に貧困問題があることは事実。例えば岩波ブックレット『データブック貧困』には、こんなデータがあります:
今日の発展途上国では「生活の最低必要」を充足しない絶対的貧困は依然としてひろく存在する。それが最近数十年間のグローバリゼーションをつうじて拡大、または拡散している。
(中略)
そして、FAOによれば、途上国の栄養不足人口(年齢ごとの標準体重の30%に満たない人口)は、1990年代に8億2380万人から8億1460万人へとやや減少しているが、中東・北アフリカ、サハラ以南アフリカでは飢えた人口はかえってふえている。
そしてこれらの人びとは近年、一方では食料価格の高騰により、他方では後にノベル天災等の災害増加によって、きわめて不安定な日々の生活を営まざるを得ない。
これらの地域では先進国の1人1日の栄養供給量3491キロカロリーに対して、アジア太平洋ではその4分の3の2674キロカロリー、アフリカでは3分の2の2254キロカロリーの栄養しか得ていない。しかもこれは「供給」栄養量なので、実際の消費量はさらに2~3割少ないとみられる。
日本の人口は約1億2千万人ですから、その約7倍の人々が世界で飢えていることになります。例えばレストランに入ったとして、窓の外に7人の飢えた人々がいるのを見たとしても、それでも1人食事を取り続けることができるでしょうか?あるいは自分のお皿にある分よりも、少ない量の食事を渡される人々がいるのに、黙って同じレストランで食事をすることができるでしょうか?
とはいえ、「それではどうすれば良いのか」という行動まで結びついていかない、それがこの問題の難しいところだと思います。例えば同じく問題のスケールが大きい環境の分野ですら、最近は「エコ」という言葉が旗印となって、個人でも取り組める行動にブレークダウンされています(もちろん実効性が怪しい主張も数多くありますが、少なくとも個人レベルで「やってみよう」という気にさせることに成功したという点では「エコ」は評価できるでしょう)。しかし貧困問題は、ガラス1枚隔てた向こうに困っている人がいる、しかしどうやったらガラスを越えて手を差し伸べられるかが分からない、そんな状態にあるのではないでしょうか。
だからといってガラスにカーテンを閉めてしまっては、気分は休まっても何の解決にもなりません。少なくとも窓の向こうに目をやり、問題がそこにあると認識すること、それが第一歩になるのだと思います。そして何かの折りにその話題を口に出したり、解決策について考えたり話し合ってみること。環境問題だって「エコ」という形で身近なものに変えることができたのですから、貧困問題を身近にしていこうという努力は、決して無意味ではないと思います。
その意味で、「ブログ・アクション・デイ」のようなイベントは有意義ではないでしょうか。「ブロガーがブログ書いたところで、何が変わるんだ?」というシニカルな見方はもっともです。しかし今年のキャッチフレーズ、
"We'll change the conversation"
「僕らが会話を(そこで話される話題を)変えていく」
という言葉は、まさしくブロガーに可能な、そして意味のある行動を示しているのではないかと思います。僕らには何も変えられない、などと考えるのはまだ早い。世界の構造は変えられなくても、会話ならすぐにでも変えていけるはず――そんな願いが込められたフレーズなのかな、と感じました。
残念ながら日本のネット界隈では、社会問題をテーマにした文章は「ウヨク」「サヨク」で切られ、メタの部分で議論が空転してしまうことが多いように感じます。またシニカルな空気が蔓延して、「何マジレスしてんだ」というような態度で停滞してしまうことも。それはもちろん、これまで議論の中心にいた人々の責任もあると思いますが、せめて今日1日ぐらいは斜に構えずにいても良いのではないでしょうか。Blog Action Day には名だたるブログが参加していますので、関連エントリを目にした際は、ぜひ時間を取ってじっくりと読んでみて下さい。
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