日々ブログを更新していると、「よくネタが続きますね」と言われます。しかし、確かに新聞・雑誌・WEBサイトを読むなどのネタ探しは行っているのですが、ネタがなくて困ったということはありません(むしろ書く時間がなくて困る方が多い)。なぜネタに困らないかというと、「リバース・エンジニアリング」で記事を書いているからです。
ブログのリバース・エンジニアリングとは何でしょうか。例えば、昨日のエントリのように「オリジナルラブソングを作ってもらえるサービス」があったとします。このサービスが成立した背景を、「一部の才能ある人々にしか作れないモノがある」「WEBを活用することで彼らの才能を簡単に活用できるようになる」「オリジナルラブソングには価値があるが、誰でも作れるわけではない」のような要素に分割することができるでしょう。こういった要素への分割・解説を、リバース・エンジニアリング的なブログ作成法と呼びたいと思います。
僕はSE出身ですが、プログラムのリバース・エンジニアリングをすると様々な知識が身につきます。処理を早くするにはどうすればいいか、部品化の際どこに気をつければいいか、どんなコメントを入れればメンテする人々に親切かなどなど、優れたプログラムの解析によって多くのことが学べました。同様に、世の中でニュースになる様々な事例(企業、サービス、プロダクト etc.)の「リバース・エンジニアリング」は、非常に勉強になります。優れた発想が中核にあったり、構成する部品は凡庸でも意外な組み合わせ方をしていたり、はたまた単なる運だけで成功していたことが分かったり。解析の結果判明したことを羅列するだけでも、価値のある資料になります。
一方、ゼロから知見を創り上げるのが「エンジニアリング」型の記事です。リバースによる記事とは違い、エンジニアリングされた記事から得られるのは他のどこでも見つけることのできない、オリジナルの価値です(※だからといってリバースが重要ではないという意味ではありません)。しかし自らが持つ情報や知識を組み立て、独自の意見を創るという作業は一筋縄ではいきません。リバースはある意味、時間さえかければ誰でも行うことができますが、エンジニアリングには才能と経験が必要です。
残念なことに、エンジニアリングで記事を創ろうとする人は多くありません。それは前述の通り、才能と経験がなければ書けないことが主な理由ですが、「間違ったことを書いて攻撃されたらどうしよう」という恐れもエンジニアリングを妨げる一因ではないでしょうか。せっかく頑張って記事を書いたのに、「こんな低レベルな文章書くんじゃねー、バーカ」とコメントされれば凹みますよね。結果として、本当に才能のあるごくわずかな人々か、他人から何を言われようが関係ない(図太い)人々しかオリジナリティのある意見を書いていないというのが現状だと思います。
プログラムを開発する場合、サンドボックス(砂場)などと呼ばれる遊び環境が用意され、自由に実験できるようになっているのが普通です。ブログもいわば、自由な意見がエンジニアリングできる「遊び場」として活用されても良いのではないでしょうか。間違った意見が書かれているのを目にしても、「バーカ、氏ね」で終わらせるのではなく、一緒になって脱線して遊んでみるという姿勢が一般的になることを願っています(そのためには、ブログの作者の側にも間違いを受け入れ、一緒になって考えるという姿勢が必要ですが)。
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