『ロングテール』の著者として有名な、Wired 誌編集者のクリス・アンダーソン。最新作が「無料」をテーマにしたものであることは、彼自身が様々なところで語っているので既にご存知の方も多いと思います。僕も去年10月の記事で扱ったりしているのですが、参考に2つの記事を挙げておきましょう:
■ 無料になるもの、無料にならないもの (yomoyomo の「情報共有の未来」)
■ 「ロングテール」のアンダーソン氏が提唱する直感に反したオンラインメディア料金体系 (TechCrunch Japan)
で、TechCrunch の記事にも書いてある通り、その最新作"Free: The Future of a Radical Price"が7月に発売されることになりました。僕もアマゾンで予約注文してみたのですが、内容について意外なところから反論が上がっています:
■ PRICED TO SELL (The New Yorker)
"Free..."の書評なのですが、書いたのはあのマルコム・グラッドウェル(最新作は酷い邦訳がされてしまった『天才!』こと"Outliers")。同じくベストセラー作家の彼が"フリー"理論についてどう感じたのか、少し長くなりますが紹介しておきましょう。
まずはアンダーソンの主張のまとめ。グラッドウェルによれば、"フリー"理論には以下のようなポイントがあるとのこと:
- デジタル時代には、「アイデアで出来ているもの」(音楽や映像、情報など)には強い値下げ圧力がかかり、防ごうとしてもやがては無料に近づいていく。
- 技術の進歩により、デジタルコンテンツを配信するコストは限りなくゼロに近くなった。
- 消費者は無料に弱い(例えば『予想どおりに不合理』のキスチョコ実験が引用されています)。
- "フリー"はすなわち、クオリティの面から取捨選択を行う必要がなくなるを意味する(例えば YouTube ではビデオをアップするのも見るのも無料なので、コンテンツのクオリティが問題にはならなくなる)。
- "フリー"をテコにして、別の部分で儲けることができる(ミュージシャンがCDセールスを諦め、コンサートの入場料で儲けるなど)。
で、これに対してグラッドウェルが反論しています:
There are four strands of argument here: a technological claim (digital infrastructure is effectively Free), a psychological claim (consumers love Free), a procedural claim (Free means never having to make a judgment), and a commercial claim (the market created by the technological Free and the psychological Free can make you a lot of money). The only problem is that in the middle of laying out what he sees as the new business model of the digital age Anderson is forced to admit that one of his main case studies, YouTube, “has so far failed to make any money for Google.”
Why is that? Because of the very principles of Free that Anderson so energetically celebrates. When you let people upload and download as many videos as they want, lots of them will take you up on the offer. That’s the magic of Free psychology: an estimated seventy-five billion videos will be served up by YouTube this year. Although the magic of Free technology means that the cost of serving up each video is “close enough to free to round down,” “close enough to free” multiplied by seventy-five billion is still a very large number. A recent report by Credit Suisse estimates that YouTube’s bandwidth costs in 2009 will be three hundred and sixty million dollars. In the case of YouTube, the effects of technological Free and psychological Free work against each other.
So how does YouTube bring in revenue? Well, it tries to sell advertisements alongside its videos. The problem is that the videos attracted by psychological Free—pirated material, cat videos, and other forms of user-generated content—are not the sort of thing that advertisers want to be associated with. In order to sell advertising, YouTube has had to buy the rights to professionally produced content, such as television shows and movies. Credit Suisse put the cost of those licenses in 2009 at roughly two hundred and sixty million dollars. For Anderson, YouTube illustrates the principle that Free removes the necessity of aesthetic judgment. (As he puts it, YouTube proves that “crap is in the eye of the beholder.”) But, in order to make money, YouTube has been obliged to pay for programs that aren’tcrap. To recap: YouTube is a great example of Free, except that Free technology ends up not being Free because of the way consumers respond to Free, fatally compromising YouTube’s ability to make money around Free, and forcing it to retreat from the “abundance thinking” that lies at the heart of Free. Credit Suisse estimates that YouTube will lose close to half a billion dollars this year. If it were a bank, it would be eligible for TARP funds.
アンダーソンの主張には4つのポイントがある。技術面での議論(デジタルインフラはほぼ無料になった)、心理面での議論(消費者は"フリー"に弱い)、プロセスに関する議論("フリー"では取捨選択の必要がなくなる)、ビジネス面での議論("フリー"がつくりだした市場で大儲けすることができる)の4つである。ここで問題なのは、「デジタル時代のビジネスモデル」を解説する中でアンダーソン自身が認めている通り、(メインとなるケーススタディの1つである)YouTube がいまだに Google に対して利益をもたらしていないことである。
それはなぜか?実はアンダーソンが熱狂的に支持している"フリー"の法則自体が原因なのだ。無数のビデオをアップロード/ダウンロードすることを許すと、多くの人々がその通りにしてしまう。それが"フリー"心理の魔力だ。今年だけで、750億本のビデオが YouTube 上にアップされると予測されている。技術の進歩によって、個々のビデオを保持するコストは「限りなくゼロに近づいた」かもしれないが、「限りなくゼロ」を750億倍すれば莫大なコストになる。最近クレディ・スイスが発表した資料によると、2009年度の YouTube の回線コストは3億6,000万ドルに達するそうである。YouTube のケースでは、技術的"フリー"と心理的"フリー"は相反する関係にあるのだ。
それでは、YouTube はどうやって利益を得れば良いのか?まぁ、広告を売るということになるだろう。問題は心理的"フリー"に引き寄せられるのが、広告主がお付き合いしたくないタイプの人々だという点だ。従って広告スペースを売りたければ、YouTube はテレビ番組や映画など、プロが製作したコンテンツを買わなければならない。クレディ・スイスは2009年度に YouTube が支払うライセンス料を、約2億6,000万ドルと見積っている。アンダーソンにとってYouTube は、"フリー"が審美眼を不要にするという法則を示すものかもしれない(彼によれば、YouTube は「ゴミみたいなものを好きこのんで見る奴らもいる」という説を証明する場なのだそうだ)。しかしお金を稼ぐためには、YouTube はゴミではないものを買ってこなければならない。まとめよう。YouTube は"フリー"の好例だが、消費者が"フリー"に反応すれば、技術的"フリー"は決して無料ではなくなり、YouTube が"フリー"の周辺でお金を儲ける力は弱まり、さらに"フリー"の中心概念である「希少性ではなく過剰性から考える」という発想を捨てなければならなくなる。クレディ・スイスは YouTube が今年5億ドル近い損失を出すと予測している。銀行ならば、不良資産救済プログラムを申請できたところだろう。
と、"フリー"理論を個々の側面から見た場合には正しいかもしれないけれど、それらを組み合わせて現実世界で動かしてみると不整合が出てくるよというわけですね。「現実には理論に反する証拠がある」という点については、書評の最後でもこんな指摘がなされています:
And there’s plenty of other information out there that has chosen to run in the opposite direction from Free. The Times gives away its content on its Web site. But the Wall Street Journal has found that more than a million subscribers are quite happy to pay for the privilege of reading online. Broadcast television—the original practitioner of Free—is struggling. But premium cable, with its stiff monthly charges for specialty content, is doing just fine. Apple may soon make more money selling iPhone downloads (ideas) than it does from the iPhone itself (stuff). The company could one day give away the iPhone to boost downloads; it could give away the downloads to boost iPhone sales; or it could continue to do what it does now, and charge for both. Who knows? The only iron law here is the one too obvious to write a book about, which is that the digital age has so transformed the ways in which things are made and sold that there are no iron laws.
さらに"フリー"とは逆方向に動く企業も数多くある。Times はコンテンツをウェブサイト上で無料配布しているが、Wall Street Journal にはコンテンツに喜んでお金を払う読者が100万人以上存在している。テレビ局("フリー"を最初に実践した人々)は悪戦苦闘しているが、有料ケーブルテレビは健在だ。アップルはもうすぐ iPhone 本体(物理的なモノ)の売上よりも大きな売上を、iPhone 用アプリ(アイデアでできたモノ)のダウンロード販売から得ることになるだろう。iPhone 本体は無料で配布して、ダウンロード数を増やす戦略に出るかもしれない。いや、そのまま両方に課金していくかもしれない。誰に予想できるだろう?本を書くまでもないほど確実なのは、デジタル時代はモノのつくられ方・売られ方を大きく変えてしまっているため、何も確実なことはないということだ。
うーん、「理論を考えたければそれを支持する証拠ではなく、否定する証拠を探せ」とは『ブラック・スワン』の教えですが、確かに"フリー"理論に対立するような動きが現実には見られます。もちろんそれらが"フリー"の波に淘汰される可能性もあるわけですし、またロングテールの場合と同様、従来型の経済と併存していく可能性もあるわけですが、少なくとも応用する場面をよく考えなければならない理論になりそう。
またもう一つ、グラッドウェルは重要な指摘をしています:
This is the kind of error that technological utopians make. They assume that their particular scientific revolution will wipe away all traces of its predecessors—that if you change the fuel you change the whole system. Strauss went on to forecast “an age of peace,” jumping from atoms to human hearts. “As the world of chips and glass fibers and wireless waves goes, so goes the rest of the world,” Kevin Kelly, another Wired visionary, proclaimed at the start of his 1998 digital manifesto, “New Rules for the New Economy,” offering up the same non sequitur. And now comes Anderson. “The more products are made of ideas, rather than stuff, the faster they can get cheap,” he writes, and we know what’s coming next: “However, this is not limited to digital products.” Just look at the pharmaceutical industry, he says. Genetic engineering means that drug development is poised to follow the same learning curve of the digital world, to “accelerate in performance while it drops in price.”
But, like Strauss, he’s forgotten about the plants and the power lines. The expensive part of making drugs has never been what happens in the laboratory. It’s what happens after the laboratory, like the clinical testing, which can take years and cost hundreds of millions of dollars. In the pharmaceutical world, what’s more, companies have chosen to use the potential of new technology to do something very different from their counterparts in Silicon Valley. They’ve been trying to find a way to serve smaller and smaller markets—to create medicines tailored to very specific subpopulations and strains of diseases—and smaller markets often mean higher prices. The biotechnology company Genzyme spent five hundred million dollars developing the drug Myozyme, which is intended for a condition, Pompe disease, that afflicts fewer than ten thousand people worldwide. That’s the quintessential modern drug: a high-tech, targeted remedy that took a very long and costly path to market. Myozyme is priced at three hundred thousand dollars a year. Genzyme isn’t a mining company: its real assets are intellectual property—information, not stuff. But, in this case, information does not want to be free. It wants to be really, really expensive.
これはテクノロジー至上主義者が犯してしまいがちな過ちだ。彼らはある技術革命が起きると、それまでの流れは一掃されると考える(例えば「燃料を変えればシステム全体が変る」のように)。Strauss (※かつて米国で「電気代は計測できないほど安くなる」と予想した人物)は原子力の話から人間の精神の話まで飛躍して、「平和の時代が訪れる」とまで予想した。Wired 誌のもう一人のビジョナリーである Kevin Kelly は、「ニューエコノミーの新しい法則」と題された1998年の声明文の中で、「チップと光ファイバーと無線の世界が訪れれば、世界全体が変る」という同じく誤った推論を展開した。そして今度はアンダーソンの番だ。「物理的なものではなく、アイデアでつくられているものが増えれば、より速く価格は安くなる」と彼は書いているが、もうどんな議論が続くか分かるだろう。「しかしこれは、デジタル・プロダクトに限った話ではない。」製薬業界を見よ、と彼は言う。遺伝子工学により、新薬開発はデジタル世界と同じような学習曲線に従うこととなる。そして「パフォーマンスが向上する一方で、価格は低下する」のだ。
しかしアンダーソンは、(電力がほぼ無料で供給されるようになると予測した)Strauss が発電所と送電線の存在を忘れていたのと同様の過ちを犯している。新薬開発で本当にカネがかかるのは、研究所における作業ではない。治験(長い年月と莫大なコストを必要とする)など、研究所を出た後の作業にカネがかかるのである。さらに製薬業界では、シリコンバレーには見られないような理由で新しいテクノロジーを使っている。製薬業者は、ある特定の疾病向けにカスタマイズされた薬を開発し、より狭い市場を狙うようになっている。市場が狭ければ、より価格が高くなる可能性があるのだ。バイオ企業の Genzyme は、世界中で1万人未満しか患者のいない「ポンペ病」を治療する Myozyme という薬を開発するために、5億ドルを費やした。これが典型的な現代の新薬だ。ハイテクを駆使し、長い期間と厖大なカネを注ぎ込んで、特定の病気をターゲットにした薬をつくる。Myozyme を1年使うと、30万ドルもかかってしまう。Genzyme は鉱山を掘る会社ではない。彼らの資産は知的所有物、つまりモノではなく情報だ。しかしこのケースでは、情報は決して「フリー」になろうとなどしていない。非常に高価なものであり続けようとしているのだ。
基本的なことですが、バリューチェーンや業界構造が変れば、"フリー"の力学がどう作用するかも変ってくると。現在音楽業界や新聞業界で起きているような現象が、どこまでが業界特有の構造によってもたらされたもので、どこまでが社会全体に働く力がもたらしたものなのか。2つを混同しないように気をつけていないと、誤った将来像を描いてしまうことになるのでしょう。
ともあれ「ロングテール」のように、"フリー"も議論の叩き台となるような理論になっていくように思います。アンダーソンの考えがどこまで正しくて、どう応用できるのか――原著をよく読んでみるしかなさそうですね。
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