釣りタイトルで失礼。しかし以下の記事を読んで、「報道」という行為を、ある特定の人物に帰属させることは難しい世の中は来ているのかもしれないなどと感じた次第です:
■ Honoring Citizen Journalists (New York Times)
日本語でも記事が出ていました:
■ ジョージ・ポーク賞ビデオ部門賞に、イラン「抵抗のシンボル」撮影した無名の市民ら (AFP BBNews)
AFP記事のタイトルで示されていますが、毎年優れたジャーナリストに贈られる「ジョージ・ポーク賞」に、今年はイラン大統領選後の抗議デモで銃撃された女性(ネダさん)を撮影した無名の市民が選ばれた、というニュースです。NYTの記事によれば、同賞で匿名の人物が選ばれたケースは初めてのようですね。
さらに興味深いのは、この賞がある特定の人物を賞賛しているのではなく、「(撮影とウェブへの投稿に携わった)人々の努力を高く評価する」としている点。実際NYTの記事では、映像がネット上で広まるまで、様々な人々の手を経たことが紹介されています。また審査員のジョン・ダーントンさんのコメントの中では:
同氏は、「映像を撮影した人やアップロードした人が誰なのかはわからないが、報道価値があったことは周知の事実。カメラ付き携帯電話を持った勇気ある見物人が動画共有サイトとソーシャルネットワーキングサイトを活用してニュースを伝えることができるという事実を祝う意味合いもある」と説明した。
と、ネット上で生まれつつある新しいジャーナリズムのあり方を賞しています。ある意味で、今回の賞はこの「(誰かが撮影し、別の誰かがネット上で公開、さらに他の誰かが広めていくという)仕組み全体」に与えられたという見方も可能ではないでしょうか。
「伝達役」を演じた人間は、従来で言えば輪転機や放送塔のようなメディアに過ぎないと見なすことも可能でしょう。しかし「ソーシャルフィルタリング」という言葉が定着しつつあるように、ニュースの取捨選択をする、情報伝達のハブとなるという役割は、これまで以上に重要性を高めています。もはや「一次情報を手に入れた人物が一番偉い」などという状況ではなく、今回のように、様々な役割を演じる人々の総合として優れた報道がもたらされ得ることを認識するべきではないでしょうか。
ただネダさんの映像についてはいまだに真偽を問う声があるように、分散型のジャーナリズムではまだ解決できない問題点があることも確かです。今回の受賞を契機として、そういった賛否も含めて議論が起きてくれることを願います。
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