先週の土曜日。実家にいた僕は、何気なく読んでいた読売新聞の夕刊に、こんな記事があるのに気づきました:
■ 3月6日付 よみうり寸評 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
あえて全文引用してみましょう。句読点や区切り記号も含め、全417字の記事です:
なぜ、こんなものが流行るのか。インターネットの世界で利用者が急速に増えている「ツイッター」にそう首を傾げている人は多かろう◆140字以内の短文を誰でもネットに発信できる。読んでもらう相手を決めておく必要はない。いわば「つぶやき」だ。「腹減った」「もう寝る」もある。政治経済や国際情勢、宇宙を語っている人もいる◆最近は政治家もよく「つぶやく」。国会議員など300人以上が利用中という推計もある。このうち今週話題になったのが原口総務相だ◆1週間前のチリ地震で自ら津波情報をつぶやいて発信。水曜日は国会予算委に遅刻したが、その間もつぶやいていた◆「ツイッター」は英語で「鳥のさえずり」。人々があちこちでつぶやく様を指すらしい。利用者は100万人以上。つぶやき数も今週、累計100億回を超えた。政治家の情報発信には格好の道具だ◆ただ発言を取り消せない。流言飛語が怖い災害時も使えるか。「綸言汗の如し」。気軽につぶやいてもらっては困る時もある。
ああ、これは問題があるなー(「発言が取り消せない」の部分など)と感じていたのですが、今日はてなブックマークを見てみたら案の定。現時点で300ブクマ以上を集め、かなり辛辣なコメントも寄せられています。
実はこの記事を(紙面で)読んだ瞬間、「ブログでネタにしよう」と考えたていたのですが、結局いままで書かずにいました。その理由は、この記事があまりに「軽く」感じられたから。「よみうり寸評」は読売新聞夕刊に掲載されているコラムで、場所は1面ながら、下半分の左端に小さく載せられる記事です。実家に帰って、娘を親に預けてのんびりと過ごすという時間でもなければ、僕が目にすることは決してなかったでしょう。ましてやこんなところで「ツイッター」という名前を目にすることは全く予想しておらず、逆に「こんなところに出てくるまでにメジャーな存在になったのかー」という感想の方が強かったほどです。
ここから先は完全に僕の空想になりますが、この「よみうり寸評」の筆者は、これほどの反響があるとは想像していなかったのではないでしょうか。土曜日の夕刊、あまり目に付かない場所にひっそりと掲載される記事。読者の方も、その扱いからこの記事の「口調」的なものを感じ取り、軽い雑談のように受け取ってくれるはずだ――無意識のうちにそんなことを考えながら、この記事を書いたのではないか、そんな風に感じています。
しかしネットに掲載された瞬間、記事からうける印象はガラッと変わります。PCの画面いっぱいに表示される文字。本当に比べてはいませんが、ネット上の方が紙面よりも面積が広くなっているはずです。少なくとも記事面積の「占有率」は、ネットの方が何倍も大きくなっているでしょう。軽い雑談のはずが、スピーカーから大音響で発せられる主張へ。そんな質的な変化が生じてしまっているのではないでしょうか。
だからといって、ここに書かれていることを流してしまうべきだと言うつもりはありません。ただこの記事がネット上では公開されず、土曜日の夕刊の片隅という場所だけに置かれた記事であったら、受けた印象はずいぶんと変わったのではないでしょうか。その意味で、既存メディアの編集者の方々は、「どの記事を・どの媒体に・どのような姿で」掲載するのかに十分配慮しなければならない時代なのだなぁと、斜め上の感想に至った次第です。
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