なるべくなら謝るような目にも、謝られるような目にも会いたくないわけですが、生きていればそうもいきません。昨日セミナーから呼び戻されたのも、実はトラブル絡みだったりして……そんなことはいいんですが、タイムリーなことに BusinessWeek でこんな記事を読みました:
■ The Ethics of Apologies (BusinessWeek)
「いくつかのシンプルなルールを覚えておくだけで、意味のある謝罪をし、潔く謝罪を受け入れることができるようになる」というのがサブタイトル。謝るときのヒント6つと、謝られるときのヒント5つが紹介されています。で、どんな内容かというと:
【謝るとき】
- 素早くミスを認め、自分の責任を取る。「僕がミスしました」と言うべき時に「私たちがミスしました」とは言わないこと。
- まず最初に、ミスをした相手に謝ること。その人に最も配慮しなければならない。
- 心から謝ること。みせかけの謝罪は謝罪しないことと同じぐらい悪い。「僕は演技が上手い」などと思っていても、本気で言っているかどうかは他人の目から見れば明らかだ。
- 「ごめんなさい」はただの言葉。その言葉に意味を持たせるには、ミスを繰り返さないようにベストを尽くさなければならない。そのための戦略を考え、徹底すること。
- 意味のある謝罪というのは、弱さではなく誠実さの表れだ。誰でも他人を非難し、自分は悪くないと言い、真実を隠すことができる。強くて冷静な人物だけがミスを認め、本当の尊敬を得ることができる。
- 助けを求めることを恐れるな。自分だけで出来ないなら、誰かに解決を手伝ってもらうこと。自分の手に負えない事態なら、別の人に引き継ぐこと。
【謝られるとき】
- 誰かに謝られたら、潔く謝罪を受け入れよう。しかし……
- 謝罪の原因となった行動が、二度と繰り返されないことを期待しても許される。
- 状況によっては、ミスが繰り返された場合にどうなるかを別の人間に明言しておく必要がある。
- 「三振でアウト」ルールが通用するのは野球だけ。他の分野では、ストライク1回で退場を余儀なくされる場合もある。ミスの中には、2度目のチャンスを与えてはならないものもあるのだ。逆に些細なミスや、実行が難しいタスクなら、チャンスを3回しか与えないのは不公平だ。
- もしミスが繰り返されるようなら、残念そうに「道義上、もうミスを犯すチャンスを与えるわけにはいかない」と言おう。何度謝られても。
そうそう、謝るときってなるべく多くの人が関わっている(「僕」じゃなくて「私たち」)ように言ってしまいがちですよね……。最終的な引き金を引いたのは自分なのに、そこに至るまでの様々な条件(多くの場合は非難できない)を積み上げた人々まで槍玉に挙げないと気が済まないというか。しかし逆の立場でそれをやられると、「じゃあ何がミスの原因で、今後誰が注意しなければいけないの?」と聞き返したくなりますよね。
結局、重要なのはミスをどうリカバリーして、再発を防ぐか。それは分かるのですが、自分に非難が及ぶことに対する恐怖心から、何はともあれ自分を守ろうとしてしまう(そして非建設的な行動に終始してしまう)のでしょう。自分ではなく他人を、あるいは何かのプロジェクトなど目的の方を優先して、「恥ずかしいけどミスを明らかにしてこれ以上の被害を防ごう」という気持ちになれるかどうか -- そして謝られる側になった場合は、そんな気持ちに相手がなるように許せるかどうか、がポイントなのだと思います。
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