■ RTC Vol.28:『ブログ限界論』
■ 日本のブログは「なんだかつまらない」ものに成り下がったんですか?
の2つを読んで。
個人的な経験では、まだまだ「日本のブログ」を楽しんでいます。テレビ番組に対しては圧倒的に感じる「最近つまらないなぁ」という感覚を、ブログに対して抱いたことは(まだ)ないかも。
しかしブログ、あるいはその集合体であるブロゴスフィアに対してどんな期待を抱いているかによって、「つまらない」と感じるのかどうかが変わってくるのかもしれません。上原さんの文章では、
- 「魅力的な文章でアクセス数を集めたブログの書き手たちはいつしかその熱量を失い、牙を抜かれた獣のように『丸い』文章しか書かなくなって更新自体も止まって」しまっている。
- 「時期を同じくしてトラックバックスパムや悪質商法を促すようなブログ、SEO対策だけのために自動生成されるブログなどが増加し、ブログ本来のリンク関係や個人発言の信頼性、おもしろさがどんどんと失われて」行っている。
という2つの現象から、「日本のブログは『なんだかつまらない』ものに成り下がっている」ように見受けられる、とされています。また、
- 「米国などに目を向けると、従来型メディアを凌駕する勢いでユーザーを集め続けるブログが多数存在し、ブログメディアを媒体とする広告市場なども日本の数百倍の規模にまで膨れ上がっています。」
という部分があるので、米国のブロゴスフィアをひとつの理想像として置かれているのかもしれません。
一方、いしたにさんの文章では、
- 「私が毎日読んでいるブログは少なくとも面白い。」
- 「サーチ以外にも面白さを発見できる手法はいくらでもある」
という部分があり、「個人の目から見て楽しいブログはいくらでもあるし、それを見つけ出す術もある」と主張されているように感じました(この認識で正しければ、僕の意見も一緒です)。
米国型のブロゴスフィア、言い換えれば「従来型メディアを凌駕するようなブログ」が数多く存在するような状況というのは、確かにブログの理想像ではあると思います。しかし日本とアメリカではブログの浸透過程がまったく異なるのですから、両者に違いが出るのは当然でしょう。その中で「日本語ブログ」の数が順調な伸びを見せているというのは、スパムやアフィリエイト狙いという側面はあれど、米国型とは違う価値が人々を捉えている証拠ではないでしょうか。「硬派なジャーナリズム的ブログ」が少なかったとしても、「趣味的なオタクブログ(もちろんオタクは良い意味で)」で楽しめる状況、というのも良いのでは。
繰り返しますが、だからといって米国型ブロゴスフィアを目指しちゃダメと言いたいわけではありません。そうではなく、現在とは別の状況を是とするのであれば、その理由を示して人々を説得しないと。いきなり「なんだかつまらないよねー」では「えっ、楽しんでるオレって変かな?」と相手を不安にさせてしまうだけだと思うわけです。
子供の頃、親と一緒に団体旅行に行きました。あるレストランで食事をした時、ものすごく甘いデザートが(団体旅行なので参加者全員に)出てきたのですが、それを一口食べた僕は「こんな甘いのマズいよー!食べられたものじゃないよー!」的なセリフを大声で言ってしまったわけですね。すると親はレストランの外に僕を連れ出し、こう言って叱りました――「お前がマズイと思うものでも、美味しく食べている人がいる。だからそんなことを口に出すんじゃない」。ということで、主観を口にする際には、読む人がどう感じるか注意を払う必要があると思います。とか言いつつ、僕も主観を前面に出したエントリを書くことが多いですが。
< 追記 >
関連リンクを2つ。
■ RTC Vol.28の告知 (近江商人JINBLOG)
反響を受けての、上原さんご本人のコメント。「当分の間、公人としても私人としてもブログでの発言を自粛したいと考えています」と仰られているのですが、むしろ積極的に発言された方がいいのでは、と思います。表示偽装のような悪事を働いたわけではないのですし、議論を重ねていくことで、まさに「ブログを面白くする」ことができるのではないでしょうか。
■ ブログは本当におもしろい (dh memoranda)
dh memoranda で言及があったのを見落としていました。「極端な話、楽しみをシェアしてくれる人が一人いれば、ブログを続ける価値もあろうというものいうもの」という点に100%同意です。
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