『マインド・ウォーズ 操作される脳』を読了。またまた書店で偶然手にした本なのですが、かなり楽しめました。Ascii.jp で宣伝ページが開設されているので、そちらもご参照下さい:
■ 『マインド・ウォーズ 操作される脳』 絶賛発売中!! (Ascii.jp)
米国における軍事技術開発のR&Dセンター的な役割を担い、インターネットの生みの親としても知られるDARPA(国防高等研究局)。そこで手がけられる研究の中で、人間の脳や精神に関係しているものを取り上げ(といっても情報が全面的に公開されているわけではないので、著者がリサーチした限りの内容ですが)、それがもたらす価値や危険性、倫理的問題を考察するという内容。Ascii の紹介ページでも書かれていますが、
- 相手の思考を読み取る
- 思考だけでものを動かす(といっても超能力の研究ではなくて、いわゆるマン・マシーン・インターフェースの発展)
- 恐怖や怒り、眠気などを感じないようにする
などといった研究が紹介されています。まさにSF小説に登場するような内容なのですが、といってもオカルトや国家陰謀論的な議論が行われるわけではなく、あくまでも科学的な考察に基づくもの。著者のジョナサン・D・モレノ博士は大統領倫理委員会のスタッフを務めたこともあり、価値と危険性の両面から、バランスの取れた議論を行っています(と、個人的には感じました)。
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本書の内容は多岐に渡るので、簡単には言い尽くせないのですが。最近『「戦争」の心理学 人間における戦闘のメカニズム』を読んだばかりなので、そちらとの関係性が強く心に残りました。『「戦争」の~』を読まれた方は、本書にも目を通してみると面白いと思います。
実は倫理観や生物としての本能がジャマをして、人はたとえ戦場にいたとしても、人を殺すことを躊躇してしまう。しかも殺したことがストレスになり、PTSD等でしばらく戦場に復帰できないこともある。ではどうするか――様々な事前のトレーニングを通じて、「人を殺すことができて、殺してもストレスを感じない人間を作る」べきだ、それにはどうしたら良いか、というのが『「戦争」の心理学』の内容です。それに対し「達成しようとしているゴールは同じで、それを薬や機械などの手段で行えないかと模索しているのが、本書で取り上げられるDARPAの諸研究だ」と表現すると分かりやすいでしょうか。
ここだけ聞くと、「人間をロボットのようにコントロールするなんて」と否定的な感情を抱く方もいらっしゃるかもしれません。しかしトレーニングを通じて「戦争できる精神」をつくるのと、薬物や機械で兵士を強化するのとでは、どちらが非人道的なのでしょうか?歴史的に見ても、戦場で兵士の精神を高揚させるための薬物が配布されてきたということを本書は指摘しています(それが既に悪いことだ、という話はありますが)。ならば「眠らなくても済む薬」「罪悪感を感じずに済む薬」を配布するというのは、単に薬の種類が変わっただけども捉えられるでしょう。しかも精神を作り替えるのと違い、効果は一時的なものです。
また本書では、センサーを通じて兵士の状況をリアルタイムでモニタリング、ストレスを感じた兵士には興奮剤を投与し、興奮している兵士には鎮静剤を投与するような防護服が研究されていることが紹介されています。さらに人が殺せない兵士の脳を一時的に乗っ取って、本部からのコマンドで銃の引き金を引かせるなんてことも(それ何てV-MAX?)。それならば「最終的に手を下したのは僕ではない、この機械だ」と考えることが可能になり、罪悪感やPTSDに苦しむことがさらに少なくなるかもしれません。
そもそも人々の精神を操るというのに近いことは、機械や薬以外の方法を通じて既に行われています(ニューロマーケティングとか)。また戦争が医学や科学を進歩させてきたように(ARPANETがインターネットを生んだように)、神経科学に関するDARPAの研究が日常生活を発展させる、という可能性もあるでしょう。どこまで進めるべきで、どこからダメにするのか――以前からバイオエシックス(生命倫理学)という言葉がありましたが、それと同じような倫理基準の確立を訴えて本書は終わります。
「兵士の脳を本部からコントロールする」なんて壮大な思考実験のようですが、DARPAのように本気で考えている人々もいるわけで、遅かれ速かれそうした技術は開発されてしまうのでしょう。「SFみたいだよねー」で済ませることができる、ある意味で幸せだった時代は終わり、本気で「脳と機械を直結することは人道的か否か」を考えなければいけない時代が目の前に来ていることを感じさせます。多少難しい部分もあるのですが、監訳者である久保田競さんの詳しい(多少おせっかい過ぎる)解説も各ページ下に付いていますので、割とスイスイ読み進めるかと。読書の秋、ということで人類の近未来に思いを馳せるのはいかがでしょうか?
こんにちは。
『マインド・ウォーズ 操作される脳』の訳者の西尾香苗です。
書評をありがとうございました。
グロスマンの著作、翻訳の際に参考にしました。『戦争における「人殺し」の心理学』 (ちくま学芸文庫)と合わせて読むとさらにおもしろいと思います。
ちなみに、各ページ下の注は西尾が作成しました(ちょっとやりすぎかな…とは自分でも思ってます)。
投稿情報: 西尾香苗 | 2008/10/09 09:41
西尾さん
コメントありがとうございます!『マインド・ウォーズ』は盛りだくさんの内容で、どこを切り口にブログで紹介しようか悩んでしまったのですが……なんとか「書評」と捉えていただけて嬉しいです。
グロスマンの著作は、本書の内容ともオーバーラップしてきますよね。ちょうど続けて読んだところだったので、「いったいどちらが非人道的なんだろう?それとも両方とも非人道的、あるいは人道的なのだろうか」と考えてしまいました。
すみません、脚注については個人的感想です(笑)。翻訳にどの程度注を付けるべきか、という判断は難しいですよね。本文でも書いた通り、注のおかげで理解が進んだところも多々ありましたので、御礼申し上げます。
投稿情報: アキヒト | 2008/10/09 21:02
アキヒトさん、こんばんは。
いえ、やっぱりつけすぎですね、注。でも脚注なので、読者のお好みに応じて読み飛ばしていただくこともできます。
前に訳した『超人類へ!』では脚注ではなく本文中にかっこでくくって訳注を入れてましたので、そうとう鬱陶しかったかもしれません。
『超人類へ!』は、脳科学に限らずバイオテクノロジーなどの現代科学を使った人体改造技術の現実をまとめたもので、改造上等!やっちまえ!!のノリでした。
モレノ先生は倫理学者なので、そのあたり冷静に抑制のきいた考察をしておられ、深く考えさせられます。
投稿情報: 西尾香苗 | 2008/10/11 00:35
西尾さん、ご返答ありがとうございます。
『超人類へ!』は未読なのですが、『マインド・ウォーズ』を読んでいるうちに興味が湧いてきています。今度購入して読んでみたいと思いますので、読了したらまた感想を書きますね。
仰る通り、モレノ先生は冷静な考察を行っておられて、ともすればオカルトっぽい方向性に行きそうな議論をうまく抑えられているように感じました。逆にそれこそ「改造上等!!」の方が、ある意味で楽しめる方も多いかもしれませんね(笑)
投稿情報: アキヒト | 2008/10/13 19:53