天才プログラマー達がデスマーチに陥る様を描いた『プログラマーのジレンマ』が面白いですよ、っていう話はシロクマ日報でしてるので置いといて、いろいろと身につまされる話が出てくるわけです。一度決着した仕様が蒸し返されるとか、コードを再利用しろって言ってるのにみんな新しく作りたがるとか、責任者が精神破綻して女装を始めるとか(これ、本書で本当に登場するエピソードです)。
で、恥ずかしながらこの本を読んで「ヤクの毛刈り」という言葉があるのを初めて知ったのですが、これは何かというと:
これは、エリック・レイモンドのジャーゴンファイルでは、「一見無意味なようだが、実は解決しようとしている本質的な問題を解決するために必要な問題を解決するために必要な……(何回か続く)問題を解決するために必要な活動」と定義されている。
とのことで、いつまでも本質的な作業に入れない・入らないことを揶揄している言葉なわけですね。
ググってみたらたつをさんも以前書かれていて:
■ [を] 人生ヤク毛刈り(yak shaving) (たつをのChangeLog)
本当の問題になかなか取りかかれないというのが世の常であり、「人生ヤク毛刈り」かもしれないと仰っています。確かにその通りかも。
しかし問題は「ヤクの毛刈り」の方を楽しんでしまったり、そこに意義を見出してしまうような状態で、それは厳に慎まなければならないと指摘されています:
ソフトウェア管理では、調整は補足的、付随的に行うことではない。それはプロジェクトの核心部であり、どのツールとどの方法を使うかが、プロジェクトの成否を左右する可能性がある。しかし、本来の作業を外れてこれらのツールを管理することは、強力な誘惑でもある。「自分たちで開発しよう!」という呼びかけが起きると、ギークはみんな大喜びで集まって喝采する。有名な(眉唾物ではあるが)MITの落書きは、この点をうまくとらえている。「プログラムを書くより、プログラムを書くのに役に立つプログラムを書きたい」。同様に、エイブラハム・リンカーンのものとされる次のような言葉がある。「木を切り倒すのに6時間あったら、最初の4時間は斧を研ぐのに使う」。ビジネスの手引き書『7つの習慣』にもあるこの法則は、すべてのプログラマーの道具づくりに対する情熱に訴えかける。しかし、それ自体が目的になってしまうと、まとまりのあるプロジェクトでも落とし穴にはまることがある。
またこんな箇所も:
経営学者のピーター・ドラッカーは、仕事について次のようなたとえ話を紹介している。
マネジメントのセミナーでよく取り上げられる話に、何をしているのかを聞かれた3人の石工の話がある。最初のひとりは「これで食べている」と答え、次のひとりは「国でいちばんの仕事をしている」と答え、最後のひとりは「教会を建てている」と答える。
もちろん、第3の男があるべき姿である。第1の男は、一応の仕事をする。報酬に見合った仕事をする。
問題は、第2の男である。職人気質は重要である。……しかし一流の職人や専門家には、単に石を磨いたり、瑣末な脚注を集めたりしているにすぎないにもかかわらず、何かを成し遂げていると思い込む危険がある。
ケイパーはCPIAの開発を「インフラ投資」と呼んだ。しかし、それは斧を研いだりヤクの毛を刈ったりすることと変らないようにも思えた。
確かに本質的な作業、困難な作業に取りかかる「準備をしている」状態って居心地が良いんですよね。まだ本番ではないので、辛さを経験することがなく、それでいて「やってる感」が味わえる。ゴールに到達しなければ意味がないのに、「ゴールに到達するために必要なツール」が出来ただけで「これで進捗5割は到達したんじゃね!?」などと見なしてしまう。しかもヤクの毛はいくらでも刈れるので、イヤな作業からいつまでも逃げることができる……うーん、身につまされます。
ということで、そろそろ提出する資料のフォーマット作りは切り上げたいと思います。なかなか良くできたので、あとは中身を入れるだけ!今日中には終わるかも!
(難解か続く)
ピーター・度ラッカー
投稿情報: | 2009/05/22 14:08
誤字のご指摘、ありがとうございました!
修正いたしました。
投稿情報: アキヒト | 2009/05/22 14:21