小田嶋 俺はこの間、仕事の関係で、松下幸之助の『リーダーを志す君へ』という本を読んだんだけど、イヤな本だと思ってね。松下幸之助が嫌な人だったわけじゃないんだけど、ああいう松下政経塾の関係の人たちの本も同時に結構たくさん読んでね。分かったのは、彼らは「リーダー」という言葉が大好きで、人間をリーダーである人間とフォロワーである人間の2通りに分けるんだよ。だから、羊飼いと羊という、そういう世界観なんだよね。そもそもが。それが気持ち悪くて。
岡 俺が聞いた話は、松下さんが社長をやっている時に、どうしても誰か、たとえば小田嶋を、釧路かどこかの支店に飛ばすことが必要で、飛ばしたんだって、という話でさ。家族もいるのに釧路にやってしまうのは気の毒だったけど、松下電器を大きくするためには、そういう冷たいことをせざるを得なかった。
で、飛ばされた小田嶋が15年ぶりに松下さんに会った時に、松下さんはいなりずしかなんかを昼食に用意したんだよ。それは、15年前に別れた時に、小田嶋がいなりずしが好きだったことを覚えていたからなんだ。それがいい話だという文脈で聞かされたんだけど、俺は嫌な話だなと(笑)。
小田嶋 おっかないよね、むしろ。
『人生2割がちょうどいい』という本がネットで小さく話題になっているのを発見して購入してみました。CMプランナーの岡康道さんと、コラムニストの小田嶋隆さんによる、文字通り「人生2割でいこう」というユルい生き方を推奨するエッセイ集です。もともとは日経ビジネスオンラインで「人生の諸問題」というタイトルで連載されていたもの。ちなみに以下は、この本の出版を記念した特別編です:
■ 話はまだまだ続くけど、「人生2割がちょうどいい」 (人生の諸問題)
まぁ岡さんにしても小田嶋さんにしても、僕から見れば十分に「成功者」なのですが、諸問題に対して必要以上に身構えない態度に共感を覚えます。ああ、これくらいユルくてもいいのかなって(笑)。読者としても身構えずにサラッと読めるので、購入するまでもないかという方も、オンラインで公開されているものを読んでみて下さい。
で、冒頭の部分。これは“「クオーターバック」と「天秤打法」と「スイング」と”と題された回に登場する一節(オンラインと本とでは一部変更があります)なのですが、笑いながらも「ああ、その通りだなぁ」と感じてしまいました。リーダーはリーダー、フォロワー(部下)はフォロワー。それはハッキリと分けられて、固定化されていて動かないものだという前提で組織運営が語られてしまう、そんな場合が多いと思います。
しかし教祖や独裁者でも無い限り、あらゆる場面で全知全能である(と見なされる)リーダーなどになれるはずがありません。特にいまのような変化の時代には、過去の知見が逆に妨げとなって、正しい道に進むことを阻害してしまう場合があるでしょう。また成功はある人物の超人的な働きによって達成されるのではなく、外部環境も含めた複合的な要因によってもたらされるものであり、その意味で「誰が偉い」と言うのは間違いであると指摘する声もあります。
さらに最近では、デジタルネイティブと呼ばれる若い世代から「新しい時代の生き方」を学べ、と主張する声も大きくなってきましたよね。ドン・タプスコットの『デジタルネイティブが世界を変える』などはその代表例だと思いますが、本をまるまる一冊読まなくても、新しいツールの使い方は若い世代の方が優れていることは分かると思います。もちろん彼らだって間違うことはあると思いますが、別に新しいモノを称賛しろと言いたいわけではありません。問題なのはリーダー/フォロワーを固定化する考え方であり、時と場合に応じてクルクルとリーダー/フォロワーが変化するものだと捉える方が、いまの時代に適しているのではないでしょうか。
そんな風に考えた方が、マネージャーというポジションに運良く(運悪く?)任命された人物にしても、「それって何?」「知らないから教えて」と言いやすくなるはずです。それを「リーダーでござい」と格好つけるからどんどん苦しくなる……うーん、とりあえず役職の名前を「~長」などと付けるのではなくて、「部内とりまとめ担当者」ぐらいにしてみるところから始めてみれば、などと勝手なことを考えたりして。
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