日本でも公共広告機構のCMが度々話題になりますが、公共系の広告にはクリエイティブなものが多いですよね。今回ご紹介するのはイスラエルで行われたものだそうですが、あえて物議を醸すような手法を取ることで、人々の注目を集めることに成功しています:
■ JAR (Jewish Assistance & Relief Fund): Trash can review (Ad of Da Month.com)
テルアビブの路上に置かれているゴミ箱にプリントされた、あるメッセージ。例えばそこには、こんな内容が書かれています:
レストランの近くという完璧なロケーションにもかかわらず、このゴミ箱にはガッカリさせられた。野菜の食べ残しはひどい状態で、量も少ない。ごく僅かな食べ物を手に入れるのに、15分も空のゴミと格闘しなければならなかった。別の通りにあるゴミ箱の方がいい。
評価:食べ物を探すには適さない。星1つ。
まるでアマゾンのレビューを読んでいるようですが、評価の対象となっているのはゴミ箱。いったい何なんだ、と思わせて、最後にはこんなメッセージが:
多くの人々が、路上で食べ物を探しています。www.jarisrael.org
ということで、路上生活者に対する支援を呼びかけるための広告でした(当然ですが、こんな評価システムが実在しているわけではありません)。これはまさしくネット等で普及しているレビュー機能から発想を得たもので、テルアビブの路上にあるゴミ箱1,000箇所に掲載されたとのこと。
この広告、正直言って眉をひそめる方もいらっしゃると思います。しかしゴミ箱に「路上生活者を助けましょう」という広告を貼るよりも、こうした実際の行動がイメージできるようなメッセージを(悪趣味にならないギリギリのところで)掲載することで、より人々の心に訴えることができたのではないでしょうか。もしかしたら自分たちも、本やDVDのレビューではなく、ゴミ箱のレビューをするような境遇に置かれていたかもしれない――そんなイメージを抱かせる効果もあると思います。
「多くの人々が、路上で食べ物を探しています」という事実を表現するのに、この表現方法が適切だとは私は思いません。
路上生活者を支援するなら彼らに仕事を与えたり、住居や衣服を与えたり、あるいは金銭や食事を与える事であり、決してゴミ箱に残飯を入れる行為ではない筈だからです。
メンタリティの違いだ、と言われればそれまでかもしれませんけれど、私はこのようなキャンペーンは差別にしか受け取る事は出来ませんし、到底受け入れる事の出来るものではありません。
投稿情報: ululun | 2009/10/18 10:17
ululun さん、コメントありがとうございます。
ululun さんの仰る通りなら酷いキャンペーンだと思いますが、個人的には「だから残飯を捨てましょう」ではなく、「だから路上生活者を支援しましょう」というメッセージを伝えるためのキャンペーンだと理解しています。「ゴミ箱で残飯を探す人がいる」という表現を使ったのはあくまでもイメージを鮮明にするためだけであり、そこにフォーカスするのが目的ではないのでは。
投稿情報: アキヒト | 2009/10/18 11:26
「路上生活者は障害物ではなくて人間だ、と認識していない人に対して、「自分と同じように口コミを参考にして食事どころを探している」という共通点をもとに同じ人間だという気づきを与える広告」というブックマークコメントもついていたのですが、”「だから残飯を捨てましょう」ではなく、「だから路上生活者を支援しましょう」というメッセージを伝えるためのキャンペーン”であるという小林さんの解釈も含め、「貧困にある人の存在をこのキャンペーンで知る機会を得なければならない程に貧困に対する理解・認識は低いのか」というのが衝撃でした。
投稿情報: ululun | 2009/10/19 09:16