Creating Passionate Usersの最新エントリ。「Web 2.0は○○だ」と例える記事はよくありますが、果たして「Web 2.0は集団セラピーだ」とはいったい?
Web 2.0 is like Group Therapy (Creating Passionate Users)
曰く、「最近流行っているTV番組やWEBサイトから考えると、『他人の私生活をのぞきたい』という願望は強くなっているようだ。いまや『共有』(大文字の「Sharing」=個々の行動としての「共有」ではなく、それ自体が目的化された「共有」)がWeb 2.0の中核概念のようになっているが、『共有』がその願望を満たす働きをしているのではないか?」とのこと。そして次のような比較表が掲載されています(セラピーの専門用語については、一部誤訳があるかも):
集団セラピー | Web 2.0 |
すべては「共有すること」 | すべては「共有すること」 |
個人的な評価(personal validation) | XHTMLによる評価 |
社会性を磨く | ソーシャル・ネットワークを築く |
角の丸い枕 | 角の丸いデザイン |
平等と一体性が高く評価される | 平等と一体性が高く評価される |
セッション中はすべてをさらけ出す | ブログではすべてをさらけ出す |
セラピストがファシリテーターを務める | モデレーターがファシリテーターを務める |
大きな恐怖 | 大きなフォント |
参加を続けることにより、気分が楽になる | 参加を続けることにより、気分が楽になる |
「私は父に無視されていたんです!」 | 「私はアルファブロガーに無視されていたんです!」 |
偏執狂 | 妄想癖 |
専門用語:enabling、共依存、stuffing(この辺、和訳不明) | 専門用語:アグリゲーション、フォークソノミー、AJAX |
優しく楽しい色のオフィス | 優しく楽しい色のインターフェース |
グループの中に必ずバカがいる | コメント欄には必ずバカがいる |
「バカ」という言葉をめぐって激しい争いが起きる | 「バカ」という言葉をめぐって激しい争いが起きる |
自尊心の問題 | テクノラティ・ランクの問題 |
他人との関係の質を無視している | コンテンツの質を無視している |
記事の最後に「このエントリはジョークだよん」と添えられているので、一部ネタっぽいところもあるのですが、「『共有は善』という考えがWeb 2.0の中核概念のようになっている」ことは確かに問題かもしれません。
ブックマークや写真、RSSフィードと、Web 2.0の流行によって様々なものが共有できるようになりました。それは確かに価値のあることなのですが、今後は単に「共有できます!」以上のサービスを提供することが必要になってくるのではないでしょうか。またKathy Sierraが指摘しているように、Web 2.0が広がれば広がるほど「共有=情報過多」という状況になってきています。情報過多を排し、さらにプラスアルファの価値を生み出すようにしなければ、「共有」自体が目的だと見なされてしまっても仕方ないでしょう。
しかし「Web 2.0が集団セラピー」と言うのなら、Web 2.0には癒しの効果(少なくとも一部の人々に対して)があるということになるでしょうか?いっそのこと、オンライン上で「人生」を共有できる「セラピー2.0」なんてサービスを作ったら・・・
>Web 2.0には癒しの効果があるということになるでしょうか
卑しい効果?
あるある。
アサマシエイトとか。
投稿情報: Bar | 2006/03/21 18:31
「アサマシエイト=浅ましい気持ちから行うアソシエイト/アフィリエイトプログラム」ですか。初めて聞きました。
なるほど、Web 2.0=誰でもお小遣い稼ぎできる場=癒しの場、となるかもしれませんね。
投稿情報: アキヒト | 2006/03/21 18:52
ブログ=発進の場という考え方が支配的な中で、話を聞いてくれるひとがいるプラットフォーム(コミュニティ)という視点は面白いですね。以前より、私もROM(Read Only Member)=SilentMajorityをどのようにコミュニティの中にデザインするかということを考えていたので、集団セラピーとの比較という面で共感する面もありました。ただ、現状のしくみにおいては、読者としての参加はコメント欄に限られるので、せめてプレゼンスだけでも可視化できるとなにか違う価値を生み出すような気がします。このへんが、既存の一対多というマスメディアとの決定的な違いを見出せる部分のような気がしています。
ちょっとまえに、社外のディスカッションの場で、SNSにおいて孤立回避支援として、カウンセリング(セラピスト)のような有料サービス(つながって”あげる”サービス)もあるのでは?という発言をしたことがあるのですが、コミュニティとしてのブログが集団セラピーという側面もあるわけですね。確かにスモールワールドとしてのネットワークの構造は、集団セラピーといえるかもしれません。ただし、WEB2.0的な面でのスケールフリーという特徴においては、ちょっと違うかなーという気がしないでもありません。ひとつひとつのブログをネットワークのノードとしてみた場合にやはりノードの強さにバラツキが大きいために、もうちょっと複雑になっているのでは?と思ったり。
投稿情報: p-article | 2006/03/22 10:08
そういえば「聴聞僧」というキーワードが、先日の社内ブログ/SNS研究会で山崎さんが講演された話の中にありましたね。「話すことで癒される」という側面を発展させると、「Web2.0による共有=共感=癒し」ということになるのかもしれません。であれば、確かにROMしている人が可視化される=アクセスログの共有、などの仕組みにより、「癒し」の効果は高くなるかもしれません。
投稿情報: アキヒト | 2006/03/23 18:15