先日の朝日新聞日曜版に、面白い話が載っていました。なぜ「生物学的に見ると不要な存在の」おばあちゃんが、人類には存在しているのか?という問いに対する仮説です:
■ 進化担う おばあちゃん仮説 (asahi.com)
詳しくは記事を読んでみて欲しいのですが、要は「生殖機能を失った=生物学的には種にとって不要な存在」であるはずのおばあちゃんが、実は子供の子育てを手伝う(=孫の世話をする)ことで、種の繁栄に寄与する役割を担っているのではないかという理論。僕も両親が仕事のときはおばあちゃんに相手をしてもらいましたし、現在では両親に娘を預かってもらうこともあるので、「そんなの調べなくても分かってるでしょ」といったところなのですが。単に社会学的な観点からだけでなく、様々な科学的根拠(女性は65歳まで体力を維持することや、クジラのおばあちゃんが果たしている役割との類似など)も見つかっているそうです。
未熟な子どもを残して死ぬより、産むのを早くやめて自分の最後の子どもをじっくり育てる戦略があるのかもしれない。情報伝達役として貢献するという仮説もある。
記事の最後はこんな言葉で結ばれているのですが、実は「おばあちゃん」は非常に高度な戦略の賜物なのかもしれませんね。
ただし、この仮説が意図するのは「だからおばあちゃんを頼れ」という事ではもちろんないと思います。知識や経験、後天的に獲得する能力といったものが、人間にとっていかに重要なものなのか。それを伝えるために、生物学の常識では考えられない「おばあちゃん」という存在が生み出されるほど重要なのだ、というのが僕の感想です。
この仮説をビジネスの教訓として活かす、というのも無理矢理すぎてお叱りを受けそうですが、これだけだとただの科学ネタになってしまうので、少し広げると・・・
事業企画や新商品企画など何かを「生み出す」ことに長けた人は、「生み出す」ことを続けるのではなく、ある程度でリタイアして他者が生み出したものを育てる側に回る・・・というアイデアが考えられるかもしれませんね。もっともこのような仕組みは、既に「メンター」や「インキュベーター」などといった肩書きで様々な組織に導入されていますが。そういった「メンター型」の会社と、「スタープレーヤー型(能力のある人に新しいモノの企画を続けさせる)」の会社を比較したら、「メンター型」の方が会社全体の組織としての繁栄が進む確率が高かった・・・などという結果になるかもしれません。
いずれにしても、人/組織を育てるという行為は生物学的な限度を超えたエネルギーが必要、ということなのでしょう。「おばあちゃん」という戦略がそれをどう補っているのか、研究する価値は大きいと思います。
ネオテニー仮説を老年期まで延ばしたもののような気がします。ラリー・ニーヴンの「プロテクター」にも出てくる。つまり、人類は幼生で生まれ、幼生のまま育ってしまうので、老年期こそが真の成年であると。生殖的に子孫を生み出すことができなくなってしまった成年が「守ること」に特化したのが老人であるという仮説です(ってゆうかSF)。この仮説すごい面白いし、最近のおじいちゃんたちの元気を説明していますね。
投稿情報: kazariya | 2006/09/12 16:04
kazariya さん、コメントありがとうございます。
仮説にせよSFにせよ、老年期にポジティブな役割を見出しているという点が良いですよね。仰る通り、最近の「アクティブシニア」と呼ばれる層とも被ります。科学的には仮説に過ぎないのかもしれませんが、注目されて良い理論かなと思いました。
投稿情報: アキヒト | 2006/09/12 17:47
そういうおばあちゃんを養うがためにおじいちゃんも(生物学的に)生きながらえる根拠を得たと考えるならば、「男性かつ独身」が"Catalog Of Risk"で最も高い死亡率を示すのもうなずける。
投稿情報: わんちゃむさん | 2006/09/12 18:35
わんちゃむさん、その仮説面白いですね~。しかし「生殖能力も失い、子孫繁栄の鍵を握る『おばあちゃん』という存在を守るという役割も失った『おじいちゃん』には、生きる根拠が・・・」というのはかなり寂しいですね。やはり今のうちから家事を手伝って、「おじいちゃんがいてくれて子育てが助かるわ~」と言われる存在になっておけということでしょうかw
投稿情報: アキヒト | 2006/09/13 12:36