« 新幹線はオフィス空間となるか?-- N700系試乗会にて | メイン | 『フューチャリスト宣言』と自由意志論 »

2007/05/24

コメント

Kazariya

> そのサイクルを再生産しつづける

ここがすでに「タダ」ではないと思います。

せまく「金銭授受がない」であれば無料ですが、茂木さんのように学者さんたちは受けるだけじゃなくて、自ら差し出すこともあるわけで(帳簿の合わない人もいるだろうけど)。受け取るだけの学者がいたら、糾弾されるでしょ。

情報であっても原理は交換、交易なわけですから。彼らにしても無料と金銭授受の有無とはイコールではないことは気づいているはずですけど。

アキヒト

Kazariya さん、コメントありがとうございます。

ちょっと僕の説明が悪かったかもしれませんが、引用部分で茂木さんが「そのサイクルを再生産しつづける」としている部分は、「開かれていない世界(従って情報がタダではない世界)」の説明となっています。

> 情報であっても原理は交換、交易なわけですから。

この点は重要ですね。「無料」であってもいいけど、それに対する対価を何らかの形で得ているはずですから。その対価が「お金」という形であって欲しいという欲求も認めて良いのでは、と思います。

この記事へのコメントは終了しました。

Powered by Typepad