僕は朝日新聞を購読しているのですが、11月26日の「月曜コラム」(第4面)を見て、契約を考え直そうかと感じてしまいました。以下、内容の要約です:
- ある昼下がり、空いた電車に乗った。車内には十数人がいて、誰も携帯電話は見ていなかった。
- しばらくして、次の駅で乗った男性が背広のポケットから携帯電話を取り出し、画面を見始めた。
「こうして、車内での携帯画面ゼロの状態は3分ほどで終わってしまったが、その状態が異様と見えることこそが異様かと思われた。」 - 現在は「接続狂の時代」。携帯電話にしろパソコンにしろ、常につながっていないと落ち着かないという気分が、今の世の中にはある。つながっていないのは時代遅れ、という風潮もあるようだ。
- ネットや携帯電話の便利さは認めるが、空恐ろしい思いにも駆られる。
- これまで、様々なメディアが人と人、人と社会をつないできた(その中には活字メディアも含まれる)。何かとつながっていたいという願いは、時代を問わないだろう。
- しかし、生身の世界とのつながりが薄れ、人が電子信号によるつながりの方にのみ傾いていく姿は、やはり異様だ。
- 「接続狂」を「接続楽」に変えるには、個々人が時流に流されず、「個立」(孤立ではなく)することが肝要だ。
ちなみにこれを書かれたのは、論説顧問の高橋郁男さんとのこと。また1面の半分(ただし3分の1は広告スペース)を割いた、長文のコラムです。そんな気合の入ったコラムで、しかも大新聞の論説顧問ともあろう方に反論するのは気がひけるのですが、いくつか気になる点があります。
「ずっとネットやケータイやってるって異様だよね、変だよね」と言いたいというのは分かりました(「接続楽」や「個立」が具体的にどういうことか、はよく分かりませんが)。しかし高橋さんご自身が仰っている通り、人は昔から様々な方法で「つながり」を求めてきました。活字メディアである新聞もその1つでしょう。ではなぜ、電子的なつながりだけが「異様」なのでしょうか。なぜ本に囲まれ、本だけを読み漁って生きるような「異様」な人は、「文学青年」などという形で肯定されるのでしょうか。
僕にはこのコラムが、人々のアテンションを電子メディアに奪われた、新聞というメディアの「試合放棄宣言」のように感じられました。活字メディアが人と人、人と社会をつなぐ役割を果たしてきたのであれば、再びその役割を果たせるよう、新しい時代に合わせて努力すればいいだけのこと。「あいつらは異様。こっちを向かないのはおかしい」であれば、勝負も何もあったものではないでしょう。なぜネットやケータイが人々の注意を惹きつけられるのか、それを理解する努力をすべきです。
「電子メディアと活字メディアでは性質が異なる。勝負にならない」と言われてしまうかもしれません。実際、そういう側面はあると思います。しかし僕は『日経MJ』などの専門紙をいまだに(それこそ電車の中で)よく読みます。それは専門紙の提供してくれるコンテンツが、自分が必要としているものだから。例えばそんな新聞であれば、ケータイやPCから「つながり」を奪うことは十分可能なはずです(“専門化”は単なる一例ですが、『新聞社―破綻したビジネスモデル』でも提唱されていた手法の1つですね)。
まぁ単なるコラムなので、これが朝日新聞全体の姿勢だと考えることもないと思いますが。しかし論説顧問のコラムなら、新しく登場してきたメディアを「異様」の一言で片付けるのではなく、真正面からぶつかることも論じて欲しいなぁと感じた次第です。
初めてコメントします。
気になったので原文読んでみました。著名人の言葉を借りてサポーティングパラグラフを固めているのに、論旨が「何か、あの人たちキモくな~い」と言うのと同次元に帰結している印象を受けました。レトリックは巧みなのでしょうが、それ以前に感動や感銘がなく、何かを変えたい気概や責任が感じられません。
個人的には電子メディアの普及は活字の復権でもあると思います。ですから、新聞にはこれまで以上にプロであるがゆえの質を高めていってもらいたいと思いますが、こういう方の論調を読んでいると、新聞の未来に思いを馳せているようにも思えず、物悲しい気持ちになりますね。
投稿情報: アカデミックにヒステリック | 2007/11/28 21:15
文学オヤジです。(うそです)
紙ならOK、機械を使うとオタクでありキモイ、は全く理解不能です。ケータイなどで文学を読むことだって出来るわけですから。
いや、全く気持ちが分からないとは言いませんが、そこら辺の居酒屋の話題ならいざ知らず、朝日さんの紙面を割いてはいけない気がします。(原文読まずに申し訳ないですが)
むしろ、使い方(歩きながらケータイを見ていて、周りの迷惑とか)を取り上げる、とかなら分かるんですけどね。
なんか、「時代遅れ」でかたづけられてしまう気がしますね。
投稿情報: kumaboo | 2007/11/29 21:17
> アカデミックにヒステリックさん
コメントありがとうございます。また原文も目を通していただいたのですね。感謝申し上げます(本当は全文転載して皆さんに読んでいただきたかったのですが・・・本当はこういう文章こそ、オンラインで公開すべきですよね)。
> 著名人の言葉を借りてサポーティングパラグラフを固めているのに、論旨が「何か、あの人たちキモくな~い」と言うのと同次元に帰結している印象を受けました。
仰る通りで、せっかく著名人たちの知見を紹介しているのに、結論が「よく分からない奴らだ」で終わっていますよね。せっかく大きなスペースを割くのだから、何らかの提言なりがあるだろうと思ったのですが。
> 個人的には電子メディアの普及は活字の復権でもあると思います。
この点にも同意です。新聞の「活字で伝える」という点だけ見れば、むしろ電子メディアの流行はチャンスでもあるはずですよね。繰り返しになりますが、新聞には「異様」で片付けるのではなく、積極的にそれを理解する姿勢が必要だと思います。
投稿情報: アキヒト | 2007/11/30 08:00
> kumaboo さん
コメントありがとうございます。
確かに一心不乱にケータイで何かしている姿というのは、傍から見ていると滑稽に写ることもあるのですが、
> そこら辺の居酒屋の話題ならいざ知らず、朝日さんの紙面を割いてはいけない気がします。
そこですよね。朝日新聞に期待しているのは、居酒屋での愚痴(失礼)ではなく、識者の考察なわけで。こういった論説を見せられると、それなら Kumaboo さんの仰る通り、「ケータイの使い方で周囲の迷惑になる」といった問題を取り上げてくれた方がよっぽどいいのに、という気になります。
投稿情報: アキヒト | 2007/11/30 08:07