確か正月で実家に帰っていた時だったと思うのですが、こんなニュースをテレビで見ました:
■ 中越沖地震被災者への気持ち詠む=天皇陛下 (時事ドットコム)
昨年に天皇・皇后両陛下が詠まれた歌、計8首が公表されたというもの。ちなみに内容については、宮内庁のサイトで確認できます:
■ 天皇皇后両陛下のお歌(平成19年から) (宮内庁)
そうそう、「陛下がこんな歌を詠まれました」っていうニュース、定期的に耳にしますよね。このニュースを聞いたときも「ふーん」ぐらいにしか思わなかったのですが、ふと「そもそも皇室はなぜ歌を詠むんだろう?」と感じました。古くからのしきたりか何かで、公式行事の後には歌を詠むというルールになっているのでしょうか?
もちろん伝統という理由はあるでしょう。しかしこうも考えられないでしょうか――政治的に明確な意見を述べることが許されない皇室という存在において、唯一自由な表現ができる手段が「歌」なのだ、と。例えば上記の8首の中に、こんな歌があります:
シベリアの凍てつく土地にとらはれし我が軍人(いくさびと)もかく過しけむ
これに対して、以下のような解説が掲載されています:
スウェーデン国・エストニア国御訪問の後,両陛下ははじめてラトビア国を御訪問になり,同国の厳しい歴史の一端に触れられた。この御製は,シベリアに抑留されたラトビア人の苦難を中心テーマとするラトビア占領博物館を訪問された際,同地に抑留された日本の軍人にも思いを致されて詠まれたものである。
つまりシベリア抑留に対する態度を示されているわけですね。仮に同じ事を平文で、すなわちロジックで示したとしたら、その内容の如何を問わず「問題だ!」と騒ぎ立てる動きが出てくるでしょう。しかし歌であることで「これはいわばアートの世界だから、そんなに騒ぐ必要はない」という空気が生まれると同時に、伝えたかったこと(戦後シベリアに抑留された旧日本軍兵士に対する遺憾の思い)も明確に伝えることが可能になる――そのために様々な意見が「歌」として表明されるのだ、とそんな風に考えました。すべて勝手な想像なので、本当の理由はまったく異なるかもしれませんが。
そんなことを考えているうちに、自己表現にはアートとロジック、2つの方法があるのだなぁということを再認識しました。(仮に上記の想像が正しければ)皇室はロジックで態度を示すことがタブーとされているために、アートという表現方法に頼っているわけですが、逆に一般の人々にとってはロジックの方が身近な手段なわけですね。何らかの意見を表明するという場合、普通は「原稿用紙○枚で」「パワポのスライド○枚で」という話であり、「575の17文字で」「キャンバス1枚の絵で」という話にはなりません。しかし当然のことながら、アートという手段も存在しているのだということを忘れてはならない、と思います。時には理路整然と説明するよりも、たった一言の方が効果を発揮するということもあるでしょう。
最近流行りのミニブログは、書き込み文字数に制限があるという点で、ロジックではなくアートに近い自己表現をトレーニングする場となるのではないでしょうか。ブログで長々と意見を言いたいネタを、あえて短い言葉でまとめてみる。あるいはたった一言で、自分が望む行動を人々が起こしてくれるような言葉を考えてみる。そんな意識でミニブログを使ってみてもいいのかなぁ、と感じた次第です。
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