かつて勤務していた地方の県では和歌山と同様、道路建設が最大の関心事だった。その県の関係者がこんなことを言っていた。「道をつくるのは福祉事業みたいなもの。それ自体が目的で、おまけで車が走れるということだ」と。これは道路特定財源関連法案の再可決を目指す紀伊半島1周行進のゴールで仁坂知事が話していた「財源をカットし、投資をしなければ必ず生活は悪くなる」という話に通じるものがある。
■ 【紀州路から】道路つくって生活は豊かになった? (MSN産経ニュース)
から抜粋しました(太字は引用者)。国民の過半数から支持を得ていないのに、地方の政治・行政関係者が頑なに道路建設を守ろうとするのは、「建設」それ自体が地域経済に与えるプラス効果を維持したいからだというのは良く指摘されるところです。しかし「おまけでクルマが走れる福祉事業」という表現があまりにも適切で笑ってしまいました。
しかしこの記事でも指摘されている通り、福祉事業だからといって未来永劫道を造り続けることはできません。維持費もばかにならないし、逆に交通の便が良くなることによって、仕事がある地域に人々が流出してしまうというマイナスの側面もあります。もっと良い税金の使い道はないものでしょうか。
その答えは、歴史にありました:
■ ピラミッド公共事業説について (教えて!goo)
ご存知の方も多いと思いますが、ピラミッドが建設された理由について、最近「農民の仕事がない時期のための公共事業だった」という説が有力視されています(作業に携ったのは「奴隷」のはずなのに、労働者用にずいぶんちゃんとした居住施設が用意されていたとか)。乱暴なことを言えば、造るのが道路かピラミッドかという違いだけで、要は日本も古代エジプトも変わらなかったわけですね。
であれば、日本でもピラミッドを造ってしまえば良いのではないでしょうか。土建屋さんなら現在の機材とスキルの転用が可能ですし、一度造ってしまえば維持する必要はありません(だって風化した方が風情があるから)。しかも道路と違って人口流出という副作用は心配ないですし、逆に観光客の流入が見込めるでしょう。さらには「本当に(クルマが通るという本来の意味において)必要な道路しか造っていないのか?」という無意味な議論を行う時間と労力、コストも削減できます。なんて素晴らしい!
……まぁ、本来は無駄な道路を造るための税金があったら、本当に地域経済を活性化するのに必要な対策につぎ込むべきなのですが。有効な対策が見いだせないので、こうやって従来型の公共事業に執着しているのでしょうけどね。だったらいっそのこと「ピラミッド」の方が笑えるんだけどなぁ。
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