本物の風呂敷の話ではありません。話を大げさにしたり、できもしない大きな約束をすることを「風呂敷を広げる」とか「大口を叩く」などと言いますが、その意外な効能(?)が明らかになりました:
■ I’m Not Lying, I’m Telling a Future Truth. Really. (New York Times)
「僕はウソをついてるわけじゃないよ。将来の姿を話してるだけなんだ。本当に」というタイトルの記事。これで想像できるかもしれませんが、大きなことを言うのは他のウソと違い、将来の自分自身を作り出す効果があるそうです。
まず過大表現と普通の(?)ウソを比べた場合、こんな違いがあるのだとか:
A series of recent studies, focusing on students who inflate their grade-point average, suggests that such exaggeration is very different psychologically from other forms of truth twisting. Touching up scenes or past performances induces none of the anxiety that lying or keeping secrets does, these studies find; and embroiderers often work to live up to the enhanced self-images they project. The findings imply that some kinds of deception are aimed more at the deceiver than at the audience, and they may help in distinguishing braggarts and posers from those who are expressing personal aspirations, however clumsily.
成績を過大に申告するような生徒を対象に行われた一連の研究によると、そういった誇張は他の真実をねじ曲げる行為とは心理学的に非常に異なったものだそうである。事態や過去の成績を実際よりも良く話す場合、ウソをついたり何かを隠したりする場合に感じる不安感が存在しない。さらに誇張をした人物は、自分の自己イメージに合わせるように頑張ることが多い。ある種の欺瞞は観客よりも自分自身に向けられたものであり、不器用なやり方だとしても、単なる自慢や格好つけではなく自分を高める行為なのだと研究結果は示唆している。
とのこと。そもそも何故そんな誇張をしてしまうのか?という意図の方に焦点を当てた場合、他人を騙そうというよりも自分自身がそう願っているから、と考えられると。そのため単に真実とは異なることを喋る場合と違い、話者にはストレスや緊張感が見られないそうです。実際、実験では最も過去の成績を過大に申告した被験者(学生)が、最も落ち着いて自信を持っているように見えたのだとか(笑)
で、面白いことに過大申告をした生徒を追跡調査した場合、実際に申告通りの成績を達成していた場合が多かったそうです。元の研究論文を詳細に読んだわけではないですし、因果関係についてもハッキリとしたことは言えませんが、なかなか興味深い結果ではないでしょうか。口にすることによって自己暗示にかかる、「他人に公言してしまった手前、現実の方をウソに近づけなければならない」という心境になる、など様々な仮説が考えられますが、何らかの「自己変革力」があるのだとすれば「大風呂敷を広げる」のも悪いことばかりではないのかもしれません。
……とはいっても「リーダーが客の前で風呂敷を広げて困るんだよ、尻ぬぐいをするのは俺たちなのに」という場合は呑気なことは言ってられませんが。せめて後輩や家族の前で格好つける、ぐらいにしときましょう。
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