■ 才能あるレジのおばさんにはそれ相応の給料を払ったほうが良い (コトリコ)
に反応。弾さん同様、僕も17~18歳ぐらいのときに受検そっちのけでレジ打ちバイトしてた経験があったりするので、ちょっとコメント。
コトリコさんの記事からも分かるように、レジ打ちは単純作業のように見えて、実は個人が創意工夫できる余地が残されている仕事です。「隣の二倍くらいの速度でレジが短かくなっていく」という表現もまるっきりの誇張ではないでしょう。このおばさんはレジ打ちとして優れた能力を持っている、というのは間違いないと思います。
ではそれに見合うお金を支払うべきか、という点ですが、正直言ってそれは難しいでしょう。まず第1に、「おばさんがどの程度の能力を持っているのか」を具体的な数値として表せるでしょうか。金銭的な見返りを与えるのであれば、「おばさんの力だけでどのくらい列がさばけたのか」を数値に置き換えなければいけませんが、ちょっと考えただけでも
- あるレジ係がレジに立っていた時間帯
- その際にサッカー(カゴの中の品物をレジ袋に詰める係)はいたか、いたとすれば誰と組んでいたか
- その時間帯で処理された人数
- その時間帯で処理された商品数
- 「バーコードが読み取れなかった」「釣り銭が足りなくなった」など、レジ係に起因しない原因で処理が遅れた時間
などなどの要素を考慮しなければなりません。無理をすればつかめない数値ではないかもしれませんが、かかるコストを考えれば現実的な話ではないでしょう。
第2に、仮に「レジ処理スピード」を数値化できたとして、それがどの程度売上に貢献しているのかを把握するのも容易ではありません。弾さんは
結局のところ、そのおばさんに給与を払っているのはそのスーパーの客で、そのスーパーの客がオバサンの才能に価値をさほど認めていない、というのがその答えになる。
と述べていますが、そこまで冷淡でなくても、「列が長いと多少イライラするけど、レジ処理が早いレジ係がいるからといってそのスーパーを選んだりしない」というのが消費者の本音でしょう。ただし待たされたら待たされたで消費者の満足度は下がるはずですから、レジ処理の速さと売上には相関があると思いますが。
第3に、「レジ処理スピード」をインセンティブの単位にしてしまうと、「とにかく人数をさばけば良い!」と考えるおばさんが続出して、接客がおろそかになるというリスクもあります。あまりに速さを追求して、請求や釣り銭の金額を間違うという危険もあるでしょう。
というわけで、「おばさんはレジ係として優れた能力を持っているけど、それに対して金銭的な見返りを与えることは難しいのではないか」というのが僕の感想なのですが……だからと言ってそんな才能は無視して良いと思っているわけではありません。金銭的な見返りではなく、別の方法で彼女のような人々に気持ち良く働いてもらう道があるのではないでしょうか。
例えばこのおばさん、それだけの能力を持っていながら、金銭的な見返りなしで働き続けて(しかも他人よりも良いパフォーマンスを発揮して)います。しかも新人の研修まで担当しています。これはまったくの想像なのですが、「新人の研修を任されている」という責任感が、彼女の向上心を支えているのではないでしょうか?あるいは新人研修を任されたことで、「私のやり方が認められた」という達成感を抱いていたのではないでしょうか?だとすれば、お金という形で見返りがなくても、彼女は今後も「レジ処理スキル」を磨いていくはずです。また以前から紹介している本『予想どおりに不合理 』では、「お金という見返りが存在していると、人は逆に努力しなくなる」という場合があることが指摘されていたりするので、むしろ努力を金銭に置き換えるようなマネは控えた方が良いかもしれません。
……などと書くと「甘い」と言われてしまうかもしれませんが、自分の経験から言っても、レジ打ちは(やろうと思えば)スキルを磨く楽しさが感じられる仕事だと思います。いや、どんな仕事であれ、そこで働く人々が努力するのは「このスキルを磨くとお金が稼げるから」という理由ばかりではないはず。「これができるようになると皆に賞賛されるから」「単に達成感があるから」という理由で何かを努力して学ぶこともあるはず。ということで、まず必要なのは「レジ打ちの速さを磨こうなんて人はいないはずだから、モチベーション維持には金銭的なインセンティブが不可欠だ」という認識を改めて、「レジ打ちだって進んで創意工夫をする人がいるはずだから、そんな人達の努力を認めてあげなくちゃ」という意識を持つことではないのかな、と感じた次第です。
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