しつこくてすみませんが、ハンディカムの"Cam with me"の話の続き。
前回も述べた通り、この広告は「20代から30代の男性、独身もしくは結婚したばかりで、結婚や子育てを意識し始めた頃の人々」に一番刺さっているような印象を受けています。繰り返しますが、だからと言ってそれをバカにしたり、子育てしてるヤツには響かねーよとか言うつもりは全くありません。ただ「僕にはまだ子供はいないけど、娘が生まれたらこんな風に感じるんだろうなーって感動しました」という感じのコメントが非常に多かったので、ちょっと興味を惹かれている次第です。
で、自分と自分の奥さんに刺さらなかったのはなぜなんだろう?と考えたときに、心に浮かんだポイントはこんな感じ
- 既に子育てしているので(しかも娘を)、広告と現実とのギャップを感じた。
- 特に奥さんの場合、「自分がこんな風に撮られていたら」という見方をするわけで、「年頃を過ぎてから撮り続けるなんてあり得ない」と感じた。
- 最後の「残せなかった思い出」という言葉が示しているように、「思い出に残す=撮る」という図式が強くて違和感を感じた。
といったところ(あくまで個人的に、ですのでご容赦を)。一言で言ってしまえば、自分が既に有している「体験」と、ハンディカムの広告が呈示している「疑似体験」が衝突してしまっているわけですね。
極端な例を出しますが、飛行機の操縦方法を教える学校が「飛行機が操縦できるとこんなに楽しいよ」ということを伝えるために、シミュレータを開発したとします。そのシミュレータはあくまで本当の操縦に忠実でありつつも、例えば数分飛んだだけで風光明媚な場所に行けたり、グランドキャニオンのような地形でも気流の変化をあまり感じずに操縦できるものになるでしょう。恐らく本当に飛行機を操縦したことがある人は、「こんなのリアリティーがない。くだらない」とバカにするのではないでしょうか。しかし学校の目的は「飛行機の操縦をしたことがない人に、操縦に興味を持ってもらうこと」なのですから、飛行機操縦の楽しい部分だけを切り出したり、あるいは増幅したりといったことを行うのは理に適っています。そしてこの「リアリティーのない」シミュレータは、優秀な営業ツールとして機能するはずです。
そんな例え話を出さずとも、疑似体験というものは「誰に」「何を伝えるか」という目的を明確に有しているというのは当然の話なのでしょうね。以前どこかで、10代の少年少女が安易に子供をもうけようとするのを抑制するために、子育ての辛い部分を体験できるシミュレータ(赤ちゃんの姿をした人形だったかも)が海外で開発されたというニュースを読んだことがあります。同じ「子育ての疑似体験」というものでも、20代~30代に子供の記録を残すことの楽しさを伝える(ハンディカム)、10代に子育ての辛さを伝える(教育用シミュレータ)という目的に応じて全く違った姿になっていると。そしてどちらも、本当に子育てを経験した人々というターゲット外の人間にとっては「何か違う(こんなに楽しいこと/辛いことばかりじゃない)」と感じるものなのではないでしょうか。
ということで、よくできたシミュレータ/疑似体験を提供するモノは、必然的に本当の体験とは乖離していくものなのかもしれません。逆に話題になるシミュレータをつくりたいなら、体験を既に有している人々から「こんなの違う」という筋違いの非難を受けることを恐れずに、伝えたいエッセンスを思い切りコラージュしてしまう勇気が必要なのかも。
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