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2009/04/10

コメント

村上の評価こそ奇跡

ゴッホが作り上げられた偶像だというなら、それこそ誰もアーティストの道をあきらめることは無いな、 よかったー!

通りすがり

付加価値を先に出しちゃうと、例えばヒトラーの絵は芸術的価値はあまりないが、狂気の独裁者の意外な面という意味でオークションで高値がついた例がある。ゴッホの50年どころか60年後についた値だが、そう悪い数字でもなかったがな。俺として感じるのは美術を教育の一環、芸術を創作の一環と見る姿勢が受験産業化で崩れてしまっていることが原因なんだと思う。村上にしたって芸術で飯食って何が悪いって言っているが、その論法だったらお笑い芸人が芸術的な表現を行ったら立派な芸術作品になるということになってしまい、混乱するって訳だ。分かりやすい例だとビート武と北野武の違いだが、ビートではお笑いとして海外での評価も高いが芸術点はほぼゼロなのに対し、HANABIなどの映画、即ち創作活動では海外で芸術作品と認められたことが挙げられる。
 まあ、この辺まで言うと結論が分かってしまうかも知れないんだが、芸術で飯を食うことと美術で飯を食うことは違うってことが村上にせよWEBでも述べられていないんだよ。それどころか脱線して収集つかないことになっている訳だ。特に村上の主張では、アートこそ芸術であり食えてナンボと暴言吐いている訳だが、そういうことは自分で言うことではないということを分かっていない。勿論東京芸大のレベルを考慮し、デッサンが猿程度の全ての私立美大(学費1000万の専門学校)とは全く一線を画した立場を持っていることは十分に尊重する。しかしながら、芸術かどうかは所詮評価する側が決めることであるから、そんなことは考えても意味がないってことだ。むしろ芸術的な創作というのは利害を無視した日常の趣味や何気ない精神の中にこそ潜んでいるものだから、北野武がお笑いでふざけたイメージがあるからといっても、その趣味の映画の分野ではそう取られなかったという例があるのと同じことだ。食えないことを芸術のせいにするのは、そりゃ単なる甘えだろよwって誰かが突っ込んでもいいんじゃねえのかって思うけどな。

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