昨日7月16日、東京の代々木公園で行われた反原発集会。主催者発表で約17万人、警察発表で約7万人と、いずれにしても過去最大規模だったようですが、坂本教授ことアーティストの坂本龍一さんが「たかが電気」と発言したことに賛否両論が集まっています:
■ 坂本龍一さん「電気のため、なぜ命を」都心で脱原発デモ (朝日新聞)
「脱原発」を訴える大規模な市民集会「さようなら原発10万人集会」が16日午後、東京・代々木公園で開かれた。ノーベル賞作家の大江健三郎さん(77)らが呼びかけた署名運動「さようなら原発1000万人アクション」の一環。約17万人(主催者発表)が全国から集まり、原発の再稼働に踏み切った野田政権に方針撤回を迫った。
「たかが電気のためになんで命を危険にさらさないといけないのでしょうか。子どもを守りましょう。日本の国土を守りましょう」。集会は午後1時、呼びかけ人の一人、音楽家の坂本龍一さん(60)のあいさつで始まった。
教授の言わんとしていることは理解できます。電気をつくるために、リスクのある原発を使用して良いのか。別のエネルギー源を使うべきではないのか。その趣旨は分かりますが、それにしても「たかが電気」という言葉は使って欲しくありませんでした。
既に多くの方々が批判していますが、「なんで命を危険にさらさないといけないのか」というまさにその命を守るためにも、電気は必要不可欠なものです。病人や高齢者、子供といった弱者を守るために、いま多くの電力が使われていますが、残念ながら病院や学校・老人ホームといった施設への電力の安定供給をどう守るか?という議論には十分な注目が集まっていません。教授が言うべきは「原発で電気を生むのはやめよう」、あるいは「無駄な電力消費をなくして少しでも原発をいらなくしよう」であって、「たかが電気」ではなかったはずです。
そしてもう1つ、この言葉が危険な理由は、電気を生み出すことに対する関心や敬意を消してしまいかねないという点です。確かに東京電力や政府・学界の一部には、「利権」と呼ばれるような何かを守ろうとする動きが見られました。しかし多くの技術者たちが、生活を守る電力を安定供給しようという責任感とプライドを持って行動し、実際に社会を支えてきたことも事実です。彼らの努力、そして「電力」というもの自体の価値と、東電や原発政策批判は分けて考えるべきでしょう。さもなければ、電力の世界に熱意をもって取り組む人が減り、本当に必要な電気の安定供給までないがしろにされてしまうのではないでしょうか。
7月15日日曜日の朝日新聞「GLOBE」に、『探求』のダニエル・ヤーギン氏が書かれた「エネルギー確保、技術革新で 資源偏在でも知恵は世界中に」という記事が掲載されているのですが、その中にこんな一節があります:
それでも、技術革新が止まると考える必要はない。「石油は人の頭脳の中にある」という有名な言葉がある。地中から掘り出される石油は、高度の科学技術と、絶えざる技術革新の結晶であり、つまるところ人間の想像力のたまものだ。石油に限らず、創意工夫の精神が、この250年以上、エネルギーの選択肢を示し続けてくれた。
「石油は人の頭脳の中にある」という言葉、非常に示唆的です。これをもっと広くして、「エネルギーは人の頭脳の中にある」と言い換えることもできるでしょう。実際にいま、世界では様々なエネルギー系ベンチャーが誕生しつつあり、再生可能エネルギー利用・蓄電池の高度化といった分野でイノベーションを起こしています。まさに「人の頭脳の中」から新しいエネルギー/エネルギー利用方法が生み出されているのです。
そのためにも、いま私たちが言うべきは「たかが電気」ではなく「されど電気」なのではないでしょうか。それが結果的に、脱原発の現実性とスピードを高めることにもつながってゆくはずです。
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