日経BPさまより、『データを正しく見るための数学的思考――数学の言葉で世界を見る』を頂いてしまいました。原著"How Not to Be Wrong"(間違わないための方法)をキンドル入れっぱなしで読んでいなかったので、大変ありがたいです(笑)。ということで、簡単にご紹介を。
データを正しく見るための数学的思考――数学の言葉で世界を見る ジョーダン・エレンバーグ 松浦 俊輔 日経BP社 2015-07-02 売り上げランキング : 5938 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
範疇としては「数学読み物」という部類に入る一冊でしょうか。テーマは数学ですが、たとえばデータ・サイエンティストを養成するための教科書のような雰囲気ではなく、あくまで一般の人々に「数学的思考」を身につけてもらい、それによって「間違わないための方法」を身につけてもらうことが目標。そのため複雑な数式は登場せず、途中頭を使う場面があるものの、ペンや電卓などは特に必要ありません。とはいえある程度高度な内容が扱われているので、通勤通学の寝ぼけた頭でもスラスラ読める……というわけではないのですが。
本書には確率や分布、あるいは「大数の法則」など、様々な数学的概念が登場し、具体的な事例を通じて解説されます。もちろんそうした概念に関する深い理解が得られるというのが本書の価値のひとつなわけですが(しかも「p値のハッキング」(!!!)など、扱われる事例はいずれも興味深いものばかりです)、個人的にはそれ以上に、「日常生活の中で数学を役立てるというのは、つまるところどういうことなのか」を教えてくれる点に、本書の最大の価値があるのではないかと感じています。
著者のジョーダン・エレンバーグ氏(ウィスコンシン大学マディソン校数学科教授)は、本書の中で繰り返し「数学とは他の手段による常識の拡張である」(クラウゼヴィッツの「戦争は他の手段による政治の拡張である」のもじり)という言葉を語っています。数学とは何か、異世界の住民の異質な思考をまとめたようなものではなく、あくまでも「常識」を補強し、それを適応する範囲と力を大きく拡張するものである、と。逆に言えば、数学的知識だけを振り回したとしても、現実世界の問題を解く武器にはならないわけです。
彼のその思いは、こんな箇所にも表れています:
私は文章題が嫌いだ。数学と現実との関係についてひどく間違った印象を与えているのだ。「ボビーはビー玉を300個持っていて、ジェニーに30%をあげました。それからジェニーにあげた分の半分の数をジミーにあげました。何個残っているでしょう」。これは現実世界の話のように見えるが、ただのあまり説得力のない形の算数の問題だ。文章題は、ビー玉とは関係ない。これは「300-(300×0.30)-(300×0.30)/2=」と電卓に入力して、答えを写しなさいと言ってもかわまない。
しかし現実世界の問題は文章題とは違う。現実世界の問題は、「景気後退とその余波は、雇用の面ではとくに女性にとって厳しかったか。またもしそうなら、そのうちどの程度がオバマ政権の政策によると言えるか」といったことだ。電卓にはこれを解くためのボタンはない。意味をなす答えを得るためには、数を知るだけでは足りないからだ。男性と女性の雇用喪失の推移のグラフは、典型的な景気後退の場合にはどんな形を描くだろう。今度の景気後退はその点でとくに違うところはあったか。女性に偏っている雇用にはどんなものがあり、オバマ政権は、その経済部門に影響するような政策判断をしたか。そうした問いを明らかにしてはじめて、電卓を取り出せる。しかしそのときには本当の頭脳作業はすでに終わっている。ある数を別の数で割るのはただの計算だが、何を何で割るべきかを明らかにするのが数学なのだ。
数学を通じてある問題を明らかにしようとする時に、どういう思考でアプローチするのが正しいのか。あるいは別の思考を取るのがなぜ間違っていて、それによってどのような誤解が生まれてしまうのか。すなわち「何を何で割るべきなのか」を考えることの重要性を教えてくれるのが、本書の最大の存在意義ではないかと思います。
エレンバーグ氏は数学者でありながら小説家も目指していたそうで、そのためか文章はユーモアと哲学であふれています。たとえばこんな箇所も引用しておきましょう:
私に何が言えるだろう。数学は間違わないための方法だが、すべてについて間違わないための方法ではない。間違いは原罪のようなものだ。われわれは間違うように生まれついているし、その後もずっとついてまわるし、自分の行動に間違いの及ぶ範囲を制約するつもりなら、絶えざる警戒が必要だ。何かの問題を数学的に分析する自分の能力を強化することによって、自分が信じていることが広く信頼できると思い、それをやはり間違っていることについて不当に拡張するということである。信仰の篤い人が、時を重ねるうちに、自分は徳を重ねたという感覚を強くしたあまり、自分の行う悪いことも良いことであると信じるようになるようなものだ。
数学だけでなく、あらゆる技術や思想についても言えそうな言葉です。自分が手にした、あるいは手にすることになる武器について、その正しい使い方を覚えておくようにすること、もしくは正しい使い方を覚えておかないと危ないということを自覚すること。それこそもう一つの意味での「間違わない方法」ではないでしょうか。
600ページ以上あるので簡単には読み切れない本ですが、夏休みで時間が取れたときにじっくり読むと良いのではと思います。あと杞憂ならいいのですが、「よくある文系向け統計学入門本でしょ」って誤解されそうで心配……テクニック論ではなく、より深い部分にある思想を教えてくれる本である点は声を大にして言っておきたいところ。
コメント