物理学者リチャード・ファインマンは、彼の書きためたノートを見た歴史学者チャールズ・ワイナーが「これは素晴らしい研究記録だね」と言ったとき、「違う違う、これは思考プロセスの記録じゃなくて、思考プロセスそのものなんだ」と言い返したそうです。頭で考えたことを紙に記したわけじゃなくて、まさに紙の上で考えているのだ――彼はそう説明したのでした。
ファインマンの話は奇妙に聞こえるかもしれませんが、実際には誰もが日常的に経験していることではないでしょうか。コピー紙の裏側に書き込みをしながらディスカッションしているうちに、発表の骨子が固まった。ノートに何気ない落書きをしている時に、ふと良いアイデアが浮かんだ、等々。それは確かに考えたことを記録していただけかもしれませんが、外部に記録された思考が整理され、肉付けされ、あるいは再び脳の内部を刺激して、思考を促していったわけです。それは「紙」というメディアが、思考のプロセスを変えたことに他なりません。
このようにメディアというものは、ともすると情報を保持しているだけの受動的な存在に見えて、実際には私たちのモノの見方や感じ方、あるいは考え方そのものを一変させてしまうほどの力を持った存在です。先ほどの例で、紙ではなくワープロしかなかったとしたらどうなっていたでしょうか(30代以下の人には想像しにくいでしょうが)。あるいは使われたのがホワイトボードや黒板、タブレット端末などだったら?メディアが単に情報を保持するだけの存在なら、何の違いもないでしょう。しかし実際には、多くの変化が現れるはずです。生まれるはずのアイデアが生まれなかったり、逆にもっと良いアイデアが生まれていたり、さらに時間と空間を超えて人々をつなぎ合わせたりしていたかもしれません。
その意味では私たちは、非常に難しい時代に生きていると言えるのではないでしょうか。身近な(一般人でも情報の発信/受信に使える)メディアと言えば紙と鉛筆、電話ぐらいだった昔と違い、いまではスマートフォンにラップトップ、タブレットに電子書籍専用端末、ブログにツイッター、フェイスブック等々、いくらでもメディアを選ぶことができます。しかし何を選ぶかによって自分の思考まで変わってくるのだとしたら、慎重にメディアと付き合っていかなければならないわけです。ところがお馴染みの「ビッグデータ」のように、世間から注目され解説されるのは中身ばかりで、肝心のメディアについてはさっぱり。今こそメディア論を学ぶ必要があるのに……
……などという深遠な思いを一切抱いていなかった僕は、「マクルーハンのメディア論について本を書きませんか?」と敏腕編集者のT氏に言われたときに、ハイハイと二つ返事で了承してしまったのでした。それがどんなに大変な旅になるかも知らず。
ということで、だいぶ当初の締め切りをオーバーしてT氏の胃を痛めてしまったのですが、ようやく『今こそ読みたいマクルーハン』が完成しました。ただいま絶賛発売中。しかもキンドル版同時発売(キンドルで読めるマクルーハン入門は本書だけ!)というオマケつき。「やっぱりメディアはメッセージだよね」と言ってプレゼンの高尚度を上げたい方にも、「知ってる?メディアはマッサージって言葉もあるんだぜ」と言ってへーと感心されたい方にもご納得いただける一冊になっていると思いますので、どうぞよろしくお願い致します。
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