ここ数日、ブログを更新する時間がなかなか取れないでいるのですが、ブログを書くことが習慣化してしまっているせいか「ちゃんと書かないといけないなぁ」と心が落ち着きません。そんなネット中毒の僕が批判できる立場ではないかもしれませんが、今朝の朝日新聞にちょっとコメントしたいことがあったので。
今日の1面に、こんな記事が掲載されています:
■ ウェブが変える -- ネットの向こう (上) (朝日新聞 2006年11月26日 第1面)
最近、朝日の土曜版では「流行のサイト・使えるサイトをネット初心者に解説する」というスタンスの記事が多く載っているので、この記事もそうなのかなぁと思って読んでみました。しかし、内容はまったく逆。ネットの恐ろしさに警鐘を鳴らす、といったような記事です。
別にネットを批判することは問題ではありません。世の中に完全なものなんて無いですし、批判と修正を繰り返すことで何事も良くなっていくものですから。しかし違和感を感じたのは、批判の中身です。曰く:
- Amazon.com で買い物をすると、履歴が蓄積される。アマゾンの本社は「個人情報保護は最重要項目」と言っているが、中身は明らかではない。
- アマゾンの「おすすめ」は過去の購買履歴を元に類似分野から選ばれるので、未知の本と出合う喜びが失われる。
- ネットの世界には「一人勝ち」企業が出現している。彼らが用意する範疇からしか購買や行動を選択できなくなった個人は画一化していく。
- Gmail はメールの内容に応じて広告が表示される。Google は「機械で行っているので人間がメールを読むことはない」としているが、不気味だ。
といったような項目が指摘されています。全てがこの記事を書いた記者(残念ながら署名が無いので「匿名」の議論です)の意見ではなく、例えば3.は『グーグル・アマゾン化する社会』という本が唱えている意見だそうなのですが、「~さんは~と言っている」と書くだけでそれに対するコメントはないので、他人の考えであっても同じ意見を訴えていると捉えて問題ないでしょう。
僕はこれらのポイントが、単にネットに疎い人々の不安を煽っているだけにしか思えません。例えばアマゾンの個人情報保護がどのようになっているか明らかではないですから、「もしかしたらすごく悪いことに使われるかもしれませんよ」と言うだけではただの悪口です。それにこの程度の内容でアマゾンを批判するなら、ポイントカードを実施している大手スーパーなどはよっぽど脅威的な存在でしょう。なにしろ「本」という(比較的)非日常的な品物ではなく、衣住食の生活必需品の購買履歴が残っていくのですから。
「未知の本と出合う喜びが失われる」という点も同様です。確かにアマゾンに限らず、リコメンデーション機能は自分の過去の嗜好にあうモノしか提案できませんが、たまに現実の書店にでも出かければ済む話です(未知の本との出合いまで演出できるようになれば、逆にアマゾンの「一人勝ち」は進むのでは?)。アマゾンが自分の好みに合う本しか提案しないからといって、文化が破壊されるほどのインパクトはないでしょう。それに人間が「オススメされた本しか買わない」という生き物であれば、よっぽど新聞・雑誌・テレビの書評コーナーの方が恐ろしい存在です(1回で10冊程度の本しかオススメしないのですから)。
「一人勝ち企業が現れると個人が画一化する」というのも議論が飛躍しすぎです(元となった本には詳しく解説されているのかもしれませんが)。仮に Google やアマゾンが画一的なコンテンツしか提示しなくなったとしたら、確実にニッチな分野を担う企業が現れて、彼らの牙城を崩すことでしょう。様々な趣味や嗜好に合うコンテンツを提供できているからこそ、朝日が批判する「一人勝ち企業」が成功しているわけであり、逆にマスメディアによって「画一化」されていた個人が解放されるのだ -- というまったく逆の議論を展開することもできるはずです。
と、各ポイントに対する反論を書いてしまいましたが、本当に怖いのは「単に不安を煽るだけでは、よりいっそうデジタル・ディバイドが進むのではないか」という点です。何も知らない人に「何か得体の知れないものがやってきますよ、怖いですよ」と言えば、その人は「そうか、それじゃ触れるのを避けよう」という態度になることは目に見えています。そもそも知識を手に入れる・入れないの前に、デジタル技術に対する考え方をネガティブにしてしまうという「心のデジタル・ディバイド」とも言うべき問題を、朝日新聞の記事は引き起こしてしまうのではないでしょうか。
何か最近、旧来型のマスメディアの中から、ネット上の文化に対してことさらに対抗しようという態度が現れているように思います。彼らの行動が、断絶を無意味に深くすることにならないと良いのですが。
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