ミクシィのことで悩んでいます。私は女性で、マイミクが20人くらいいます。普段は楽しく、参加していますが、マイミクのうちの1人が日記にコメントをしてくれないのです。
いわゆる「読み逃げ」=密かに読みにくるけど、コメントしないという状態です。
日記の内容によって、コメントしないのは構わないんですが、もう30回以上連続なので、かなり気になってしまっています。こちらはそのマイミクの日記には半分くらいコメントしています。ミクシィ上のメールの交換もありません。私が日記にコメントをすると、それにまたコメントはしてくれますが、いつも自分の話ばかりです。
先週末からネットを賑わしている、この質問。岡田有花さんが ITmedia の記事で取り上げ、それについてシロクマ日報でもコメントしたのですが、もう少し思うところを書いてみたいと思います。
この質問をよく読むと、単に「読んだらコメントしろ!」と言っているのではないことが分かります。「自分が相手の日記にコメントするばかりで、相手からのお返し(自分の日記に対するコメント)がない」という言い方をしているので、心理学で言うところの「返報性」、すなわち「親切にされたら、それに報いるのがルールである」と考える心境の一種ではないでしょうか。返報性がいかに強力で、免れるのが難しいものであるかは『影響力の武器』に詳しいのですが、OKwave の質問者もそれと知らずに囚われてしまっているのでしょう。「コメントしてやったからコメントしろ」という言い方は、よく考えれば「自分の日記にコメントが欲しいから他人にコメントしてるのだ」ということになり、身勝手という点では質問者を悩ませているマイミクとイコールになってしまうのですが。
しかしなぜ人間は「親切には親切で報いなければならない」という心境になるのでしょうか。先日から東大 OpenCourseWare の「進化生態情報学」を実践中というエントリを書いていますが、ちょうどそこで使われている参考文献の中に、ヒントになりそうな話がありました。長いのですが、ちょっと引用してみます:
「人間」とはどんな生き物なのか?この問いへの回答は、いろいろある。現在の生物学は、この一見哲学的な問いに、かなりの程度満足のいく答えを、いくつか用意できている。そのうちのひとつが、この章のテーマになっている協力行動だ。しかも、遺伝子を共有していない、非血縁個体との間の協力行動、利他行動が、どうやって進化してきたかというのは、ダーウィン以来の最大の懸案のひとつだった。
その謎が解明されたのは、比較的最近のことだ。1971年に、アメリカの進化生物学者、ロヴァート・トリヴァースが「互恵的利他行動」という概念を提唱した。後々にお返しをしてもらうことを期待して、相手に親切にするのである。とくに人間の場合、記憶力がいいから誰に親切にしたかはよく覚えているし、寿命も長くて同じ個体との付き合いが何回も繰り返されるので、互恵的利他行動が進化する条件に、非常によく当てはまると考えられる。
(『佐倉統がよむ 進化論のエッセンス』第2部より)
すなわち人間は進化を通じて「互恵的利他行動」という考え方がビルトインされていると。言うなれば、返報性は遺伝子レベルで理解されている(もちろんそれをどこまで実践するかは個人・文化・状況による差があると思いますが)わけです。従って「自分のした親切に対して見返りを求めること」は個人の性格が生み出した理不尽な欲求ではなく、人間の行動の根幹をなすルールの1つということになります。
「足あと」「コメント」「最終ログイン」などの機能で返報性を実践し、また返報性が実践されているかどうかをチェックできる mixi は、実は人間の進化に即したものなのではないでしょうか(mixi がそれを狙ってやっているかどうかは別にして)。「足あとを踏まれたら踏み返さないといけない」「コメントされたらコメントし返さなければいけない」という勝手なルールも、賛否両論あるにせよ、非常に人間的な心理なのではないかと思います。同じようなルールは SNS 登場以前から存在していたという話も聞きますし、姿形は変われど、今後も残っていくのでしょう。
気になるのは、この問題が単に「最近おかしな人が増えたよねー」というレベルに留まっているのかどうかという点。返報性など人間の社会行動のメカニズムを熟知した企業が、それを悪用し、中毒性の高いWEBサービスを開発するという可能性もあるのかなと思います。ええ、そんな考え方は行き過ぎだと思いますが、もしいま僕が SNS っぽいサービスの開発を命ぜられたとしたら、確実に「足あと」機能は実装するでしょう。他にも「このユーザーから来たメール(コメント)の数/このユーザーに対して送ったメール(コメント)の数」を常時表示するようにしたり、「このユーザーが自分以外のユーザーに対して送ったメール(コメント)の数」が何らかの形で確認できるようにしたりと、中毒になる要素を仕込んでおくと思います。
・・・と、なんか無理やり進化生態情報学に結びつけた感もありますが、けっこう SNS って人間の根幹に関わる部分に結びついているのかなと感じています。最近「SNS」という体裁を取らなくても、SNS的機能(プロフィール登録、友だち管理 etc.)を備えたWEBサービスが多いのも、単に流行りだからというレベルを超えた正当性があるのではないでしょうか。WEB2.0 が実体がないといいながら持て囃されるのも、「参加」や「つながり」といった部分が人間の本能に訴えているからなのかもしれません。
< 追記 >
ついでに昨日までのOWC進捗をここに:
- 『佐倉統がよむ 進化論のエッセンス』は第2部まで読み終えました。
- 講義ビデオは Lec.2 の分を制覇。
すぐ飽きてしまうかと思ったのですが、とりあえず1週間続きました。我ながら、強制されてるわけじゃないのによく続くものだ。やっぱり講義の内容が面白いかどうかが、単位や落第や就職といった「社会的強制力」の無いOCWにとっては最大のポイントなのかもしれませんね。
久しぶりに内田樹を読みたくなりました。
http://blog.tatsuru.com/2006/11/18_0855.php
「自分が欲するものは他人に贈与することによってしか手に入らない」という文化人類学的真理
投稿情報: ゆう | 2007/03/22 14:35
アキヒトさん、こんばんは。
今日は「読み逃げ」がちょっとネタとして熱くなっていたみたいですね。
先日の「ブログ読者からのお願い」を思い出しました。あの項目.1が今回のケースの裏にある読者心理かなぁ、と思いました。
アキヒトさんは、問題分析の観点が違いますね^_^
進化生態情報学、いまいちよく理解していないばか者ですが、この記事で、“あぁそういう学問かぁ”と理解しました。ありがとうございます。
投稿情報: モカ | 2007/03/22 23:31
> ゆうさん
コメントありがとうございます。
「自分が欲するものは他人に贈与することによってしか手に入らない」というのは、なかなか含蓄のある言葉ですね。それが文化的な背景から出てきたのか、はたまた生物学的な背景から出てきたのか、もしくはそんな分類は意味がないのかは分かりませんが、「他人と親切の応酬があるべき」というのは人間の深いところに結びついている心理なのだと思います。今回の騒動はネタであるという話も出ていますが、似たようなケースは今後も出てくるのではないでしょうか。
> モカさん
コメントありがとうございます。
そういえば「読者からの手紙」は読み手側の心理を綴ったものでしたね。この問題、というか現象は、読み手の側についても考えてみる必要があるのかなと思います。
進化生態情報学については、僕もまだ始めたばかりですので・・・本当に研究されていらっしゃる方からは「そんなの違う!」と言われそうで怖いです。ただ WEB2.0 など最近のWEB界隈で騒がれているトピックについても、分析の視点として重要なものを与えてくれているように思うので、OCWで学んだことを当てはめてみるというのは今後も続けてみたいですね。もしお時間があったら、東京大学のOCWサイトの方も覗いてみて下さい。
投稿情報: アキヒト | 2007/03/23 16:42