秋葉原の通り魔事件。僕もいくつか関連するエントリを書いたし、これ以上書くことは「この機に乗じて騒いでるだけだろ」と言われてしまうかもしれません。しかし、少なくとも以下のエントリだけは絶対に読んでおくべきだと感じました:
■ 【秋葉原無差別殺傷】人間までカンバン方式 - 何かごにょごにょ言ってます
あの犯人がどんな状況に置かれていたのか、絶望感が想像できるようなエントリです。いくつか非常に重要なことが書かれていると思いますが、ここでは以下の1点だけを指摘させて下さい:
だが、そもそも犯人の環境は、他者と関われないシステムとして存在している。
見知らぬ土地に連れて来られ、社員からは顔を覚えてもらえず、あたかも部品の一部として明日の生活を奪われる。俺はボルトじゃねえ。
派遣同士のつながりというのはどれほどあったのかは分からないが、(ニュースを見ていると同僚同士多少はコミュニケーションがあったようだが)希薄だったのではないか。
他者と関われない状況に置かれる労働者たち。奇遇なことに、今朝(6月11日)の朝日新聞「声」欄にも、こんな意見が載せられています(東京都練馬区に住む31歳パート女性からの投稿):
秋葉原での無差別殺傷事件、よく行く所だけに強い憤りと恐怖を感じた。犯人の行為は到底許されないが、容疑者と似たような状況で仕事をしていた者として、その現状を伝えておきたい。
私は派遣で電子部品の組み立てをしていた。家賃相場より高額な寮費や工場での食費を引かれると生活は苦しく、大型連休や生産調整で休みになると、明細がマイナスということもあった。
勤務中のけがでも労災はおろか治療で休めば叱責された。他の派遣会社の人と口を利くな、という暗黙のルールもあり、職場の空気はぎすぎすし最悪だった。唯一の友人は落ち込み、精神安定剤など大量の薬を服用し、結局は退職を迫られた。
(後略)
当然ながら「声」欄は編集部による選別・修正が行われているという点を割り引いても、「他者とのコミュニケーションが希薄になる」という点が指摘されているのは注目に値するでしょう。
そしてもう1つ。話はまったく変わるのですが、つい最近『テレワーク―「未来型労働」の現実』という本を読みました(今朝のオルタナブログでも書評を書いています)。テレワークというと、「IT技術でワーク・ライフ・バランスを実現させる夢の働き方!」のように宣伝されることが多いですが、著者の佐藤彰男さんはこう指摘しています:
もちろん、福利厚生制度の色彩が強い部分在宅勤務のように、テレワークの性質が善用されるケースもある。けれども、近年、この社会は「偽装請負」や「日雇い派遣」といった新しい労働のかたちを次々と考案し、大量のワーキングプアを生み出す方向に向かっている。テレワークだけが、このような趨勢から離れて、「よりよき労働」を生み出すと楽観することができるだろうか。
つまり様々な労働問題を抱える社会が、テレワークという「仕組み」を導入したとしても、結局はそれを悪用する方向にしか向かわないだろうと。その一例として、テレワークが「隔離」に使われる危険性が指摘されています:
しかし労働が不可視化されることによって、働きぶりだけでなく、賃金格差や長時間労働が見えなくなることは、意外に指摘されていない。
他分野の研究を参考にしよう。D・マッシィは、英国のエレクトロニクス産業の発展過程を分析し、「研究と生産の立地上の分離」が共通した特徴であることに注目する。同国のエレクトロニクス産業では、研究所と工場を別々にして、遠く離れた地域に建設する傾向が強い。その目的は、製品開発や製造上の都合ではなく、賃金が高く労働時間の裁量性が高い研究所の職員と、工場で働く労働者たちを隔離することだという。この場合、「立地がひるがえって社会的な格差を維持する手段」となる。つまり、他人の労働を見えなくすることで、格差の存在を隠し、従業員たちの不満を抑えることに成功したというのである。
工場と研究所を分離する方法よりも、営業所を廃止したモバイルワークや、最初から共通の職場を持たない請負の在宅ワークのほうが、より徹底した隔離を実現できることは明白である。
この指摘は、工場で派遣社員として働く人々だけでなく、将来にはより多くの人々が<他人との関わりを持てないシステム>の中で働くことになる危険を示しているように感じます。そうした分断状況に置かれた人々が、何らかのきっかけ(今回のように、突然仕事を失いそうになったり、唯一の心の拠り所であったネット上で罵倒されたり等)で絶望感を感じたらどうなるか。もちろんそれが犯罪を正当化するわけではありませんが、自暴自棄になるなというのも難しい話でしょう。
バーチャルな世界では「コミュニケーション」や「コラボレーション」といった単語が飛び交っているのに、リアルの世界では「孤立した個人」を増加させつつある社会。どこぞのSFアニメの設定のようですが、真面目に目を向けなければ、より深刻な問題を招いてしまうのではないでしょうか。その意味で、冒頭の「人間までカンバン方式」を読んだ時には、通り魔事件を聞いた時以上の恐ろしさを感じました。
……こういう内容を書くと、「犯罪者に同情するのか」と非難されてしまうかもしれません。なので一応断っておきますが、今回の事件は事件として、無関係の他人の巻き添えにした犯人を憎んでいます。
ただし。
彼を追い込んだ何かがあって、その何かが倫理的に間違っているものであれば、それも同様に憎むべきではないでしょうか。
古い言葉かもしれませんが「同一労働同一賃金」を尊守すべきです。正社員と準職員(体裁を良くする為に名称を変えているが)の差別は現存する。同じ業務をしても「責任の重さが違う」など都合の良い空虚な言葉を並べてお茶を濁している。「勝ち組と負け組み」など下劣な言葉は漫画や冗談のレベルであり国語辞典などに載せてはいけないと思います。過去一面のみを過大に調子良く宣伝し選挙に大勝した人もいましたがバランス感覚の無さと良く考えないで投票した結果が現在です。国際世論の声があるからではなく社会的公正に反するからとして厚生労働省が強力なリーダーシップをとり指導すべきと思います。社会制度はおおむね良い方向に向かっていると思いますが国民生活に直結する厚生労働省の動きが陥没しているのでは無いでしょうか?憲法の人権尊守を。
投稿情報: 佐藤和文 | 2008/06/11 23:44
ボルト役がイヤなら転職すればいいのでは。
投稿情報: 通りすがり | 2008/06/15 09:31
通りすがりさんの意見に基本的に賛成はするのですが、派遣社員などについては、転職のたびに条件が悪くなるでしょうね。 一生その会社に居て、やっと一人前の技術、技能が身につけられる大多数の人間にとって、派遣法は、技能の枯渇を目論んだようにしか見えません。
日本人の能力が他国と比べてそう勝っているとは思えません。 勤勉さと誠実さで、やっと維持しているこの状況を派遣社員の増加で、たった一つの取り柄である勤勉さすらも失われそうで、怖いです。
投稿情報: ドンファーマー | 2008/06/15 17:01