さらに重要なことがある。場所は、私たちが自分自身にどれだけ満足できるかをも決定づける。集積力は経済的・文化的な専門化に加え、性格をも特定地域に偏在させるという結果をもたらした。地域にも人間のような性格が生まれ、それがさらにその性格に合った人々を引きつけることを前章で述べた。マンハッタンで成功した人が、アイダホ州のボイシで成功するとは限らず、逆もまたしかりである。自分の性格に最も合う場所について思案をめぐらすことは、もはや「やるべきことリスト」のトップに載せてしかるべきなのである。
(『クリエイティブ都市論―創造性は居心地のよい場所を求める』pp.255-256、強調は引用者)
日本人はどこに住むべきか、という話題についてもう少し。というか、ようやく読み終えた『クリエイティブ都市論』の主張が面白かったのでご紹介。
リチャード・フロリダの本はところどころ議論を急いでいるようなところがあって、実はあまり好みではなかったのですが、この本はあちこちに付箋を付けながら読みました。どこまで正しいのかは反証を待たなければなりませんが、個人的に頷けるところが多かった一冊です。
上記の引用部分にもある通り、本書には「同じ性格の人々は同じ地域に集まり、地域にも性格が生まれる」という主張が登場します。この点は何も科学的な調査を行わなくても、経験的に同意できるものでしょう(日本でも「県民性」というテーマで本やテレビ番組が制作されますよね)。問題は、こうして生じた「地域の性格」が、ある人物の仕事上での成否をも左右してしまうという部分。例えば分かりやすい話をすると、デザイナーなどクリエイティブな仕事をする人々は、保守的な地域に住んでいてはその真価を発揮することはできないと。「ネット時代なのだから作業は地元でやり、成果は他の地域で発表するということもできるはずだ」と言われてしまうかもしれませんが、仕事はプライベートな生活の上に成り立ちます。普段息の詰まるような生活をしていて、仕事のときだけ本来の性格を取り戻せる、などということがどこまで可能でしょうか。
また地域が持つ性格が、逆に個人の性格をも左右するという指摘も行われています。この辺はマルコム・グラッドウェルの最新作、"Outliers"(成功者たち)でも展開されている議論で、「生まれ育った場所からどんな影響を受けたか」という点が成功するかどうか(正確には「成功しやすい性格になるかどうか」)を決める要素の1つなのだとか。これらの議論に深入りするのは避けるとして、ここでは上記の引用文がある程度正しいとして考えを進めると、当然ながら「自分はどんな性格の地域と相性が良いのか」を考えながら住む場所を探す必要があるということになります。
であるとすれば、やはり「日本はダメそうだから世界へ」というだけでは少し乱暴でしょう。「日本の都市でのびのびと仕事できていたのに、アメリカは水に合わずにふさぎがちになってしまった」というケースがあるでしょうし、逆もまたしかりだと思います。考えてみれば当然のことなのですが、そこにどんな性格の人々がいるのか、自分の性格は合うかどうか、そして「自分が」そこで成功できるかどうか――通常は仕事選びの際に考えるようなポイントを、住む場所を選ぶ際にも検討してみることが必要なのではないでしょうね(もちろん「そこで仕事が得られるのかどうか」など、前提になる条件はありますが……)。
< 余談 >
マルコム・グラッドウェルの"Outliers"、邦訳を楽しみにしていたのですが、勝間和代氏が手がけていたらしい。勝間氏には"Made to Stick"の時もやられたし、なんか残念。邦題も『天才!』と若干ミスリーディングだし……うーん、買うかどうか迷う。
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