無料の「高速道路」
先日から『ウェブ進化論』を読んだ感想を書いていますが、第6章は「インターネットの普及がもたらした学習の高速道路と大渋滞」と称された項から始まっています。この「学習の高速道路」とは、将棋の羽生善治さんが『ウェブ進化論』著者の梅田さんに対して語った言葉で、「ITとインターネットの進化により、短期間で将棋が強くなるための環境が整備された」ことを「高速道路が一気に敷かれた」と表現されたものです。梅田さんはこの「高速道路化」が「将棋以外のありとあらゆる世界で起きつつある現象である」と語っています。
先日の朝日新聞に、この「高速道路化」を思わせる記事がありました:
考古学の公開講座 内容高度化 プロ顔負け(朝日新聞朝刊2006年2月9日第32面)
WEB上の記事が無かったのですが、タイトルから分かる通り、一般市民向け考古学公開講座の内容が高度化しているという記事です。研究者しか必要のない技術を教えたり、論文指導をして「卒業論文集」を作成する講座もあるとか。しかもこういった高度化は、市民の要請を受ける形で進行しているそうです。
残念ながら朝日新聞の記事では、市民の「セミプロ化」がなぜ進んでいるのかという理由を探ってはいないのですが、ITとインターネットの進化がその一因であることは間違いないでしょう。ちょっとネットを探っただけで、考古学を扱う様々な個人サイトやネットコミュニティを見つけることができます。梅田さんの言葉を借りれば、考古学の「高速道路」が敷かれた、と言うべきでしょうか。
「教育コンテンツ」でお金が取れるか?
こうした「学習の高速道路」が普及することは、一般市民にとっては歓迎すべき状況です。しかしこれまで語学講座や専門講座といった「教育コンテンツ」を提供してきた企業にとっては、憂慮すべき事態でしょう。なぜならこうした「高速道路」は現実の高速道路とは異なり、多くが無料で提供されているからです。『ウェブ進化論』ではネット社会の潮流の一つとして、あらゆるハード・ソフトが低価格化・無料化して行くことを表す「チープ革命」という概念が示されていますが、教育コンテンツも「チープ革命」の波は避けられません。
例えばGoogleで「英語講座」というキーワードで検索すれば、様々な無料コンテンツを見ることができます。個人が趣味で開設しているサイトや、教育機関がマーケティングの一環としているサイトなど様々なものがありますが、ある程度のレベルなら十分なコンテンツが集まっています。またCD-ROMが付いた語学学習書も一般的になり、ごく安い本でもCD-ROMで発音をチェックする、などということが簡単にできるようになっています。
また従来は難しかった「リアル」な体験も、ネット化により簡単にできるようになりました。語学で言えば、海外のサイトを閲覧することですぐに生の外国語に触れることができますし、ポッドキャストやビデオ・ポッドキャスト、ビデオチャットなどにより、発音やヒヤリングなども勉強することができます。先ほどの将棋の例で言うと、インターネット上で24時間365日将棋の対局ができる「将棋倶楽部24」というサイトがあり、ここには多くのプロ棋士を含む約20万人が参加しているそうです。つまりプロ級の相手と実戦経験を積むことができる環境に、ネットを通じてすぐにアクセスすることが可能となっているのです。
こうして考えると、教育コンテンツでお金を取ることはますます難しくなっていくように感じます。果たして教育コンテンツが無料化の波を避ける道があるのでしょうか?
無料化回避の道
『ウェブ進化論』には、1つ興味深い例が示されています。有名なので既にご存知の方もおられると思いますが、マサチューセッツ工科大学(MIT)で講義内容すべてをインターネット上で無償提供しようというプロジェクト「オープンコースウェア(MIT OpenCourseWare)」が進められています(ちなみに国内でも同様のプロジェクトを進めている大学が存在する)。このプロジェクトは様々な理由から計画通り進行していないのですが(その理由については『ウェブ進化論』の中で解説されています)、既に多くの講座の公開が始まっています。
MITは「リアル」な学生に対しては高額な授業料を請求しています。その一方でWEB上の講座無償公開を進めている理由として、『ウェブ進化論』の中には次のような記述があります:
この高額授業料の価値は、教授・教官と学生、あるいは学生同士の、つまり人と人との間のやり取りにこそあるのだから、教材コンテンツ自身は世界に広く公開するという理論武装に基づいていた。(梅田望夫、『ウェブ進化論』178ページ)
この「理論武装」に、無料化回避のヒントがあるのではないでしょうか。
僕自身、Babson Collegeという大学に留学していましたが、そこで受けた講義の内容そのものに関しては、日本で学ぶことも可能だったと感じています。しかし実在の企業に対して調査・提案活動を行うコンサルティング・プロジェクトや、大勢の聴衆に対して行うプレゼンテーション、そしてBabson独自のCreativity Projectなど、「そこに居なければ決して得られなかった経験」をいくつも挙げることができます。もしBabsonの講義がWEB上で無償公開されていたとしても、この経験を得るために、留学という道を選んでいたでしょう。
この「経験に課金する」というアイデアは、『経験経済』という単語を持ち出すまでもなく、従来から唱えられてきた発想です。しかしITとインターネットの進化によって、あちこちに無料の「高速道路」が敷かれた時代、経験経済の発想はさらに重要になっているのではないでしょうか。
『ウェブ進化論』の第6章が「インターネットの普及がもたらした学習の高速道路と大渋滞」と称されていることは前述した通りですが、このタイトルの後半にある「大渋滞」とは、「高速道路によって高度な知識を持つ人々が大量に生まれる(渋滞する)ものの、その一群を抜け出すためには別の要素が必要になる」ことを示しています。この「別の要素」の1つが「そこに居なければ決して得ることのできない経験」であり、その経験に課金することこそ、教育コンテンツが無料化を回避する道だと思います。
そう考えると、価値のある「経験」を提供できる教育機関にとって、チープ革命と高速道路化は歓迎すべきことではないでしょうか。コモディティ化した知識を提供することは他の個人や組織に任せ、自らは差別化要因である「経験の提供」に特化することができます。またコモディティ化した知識が低価格化・無償化すれば、自ずと「経験」に対して支払い可能なお金の総額が上がるでしょうから、より高く経験を売ることが可能になります。「経験」を得ようと思うレベルに達する人々も、高速道路が整備されることによって次々と生まれてくることでしょう。
チープ革命と高速道路化の時代が到来し、これから多くの教育機関・専門学校が淘汰されると思います。そこから抜け出すのは逆にチープ革命と高速道路を上手く活用し、「大渋滞で立ち止まった」ユーザーに独自の価値を提供する組織になるのではないでしょうか。
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