最近読んだ本『インポッシブル・シンキング』に、興味深い指摘がありました。それはこんな内容です:
ニュートン物理学は、突き詰めていけば限界はあるが、単純に物事を説明するだけなら、複雑な量子力学を持ち出さなくてもいい。車で猛スピードで壁に激突するとどうなるか、屋根から球が落ちたらどうなるかを手っ取り早く知るには、ニュートンの理論の方が役に立ち、効率的なことが多い。
(『インポッシブル・シンキング』pp.213-214)
新しい理論が登場した時、古い理論は駆逐されると思われがちです。「地球は平らだ」という考え方が「地球は丸い」という考え方に置き換わった例など、それが当てはまる場合もあるでしょう。しかし実際には、2つの理論が並存できる場合があります。それはどちらが正しいか、という問題ではなく、どちらをいつ使うのが有益であるか、という観点で見なければならないのです。実際、近所に買い物に行く程度なら「地球は平らだ」という概念で行動した方がはるかに簡単でしょう(逆にヨーロッパに旅行に行く場合には、「地球は丸い」と思っていないと時差に苦しめられることになります)。
『インポッシブル・シンキング』では、古い概念やパラダイムといったものが必ずしも価値を失うわけではない例として、もう1つこんな話も挙げています:
2002年、険しい山岳地帯で繰り広げられたアフガニスタン攻撃では、アメリカ軍特殊部隊とアフガニスタンの同盟軍が、夜間に危険な山道を馬に乗って移動した。馬上の兵士は、携帯型コンピューターを駆使して、空軍ミサイルを陸上の標的へと誘導した。
(中略)
馬が高速道路に戻ってくると言うつもりはない。ロケットが飛ぶ時代にも、乗馬という古いモデルが行き続けられると言いたいのだ。アメリカ軍の担当者が、乗馬モデルを知らなければ、あるいは検討しなければ、戦略を立てる上での選択肢は狭まっていただろう。
(pp.115-116)
そしていわゆる「パラダイム・シフト」というものは、不可逆的なものではなく、新旧のモデルが並存しうる双方向的なものと論じています。
いま「Web 2.0」を始めとした様々な「2.0」が流行っています。僕も Web 2.0 系サイトが大好きで、新登場のサービスには片っ端からアカウント登録していたりするタイプです。しかしちょっと気になるのは「1.0は古臭いモデルで、2.0に必ず移行しなければならない」という脅迫概念のようなものを感じる場合があることです。確かに2.0は未来のモデルなのかもしれませんが、パラダイム・シフトが双方向性のものであるならば、無理に1.0を否定することはないのではないでしょうか。
例えばティム・オライリーが書いた有名な論文「Web 2.0:次世代ソフトウェアのデザインパターンとビジネスモデル」では、Web 1.0 的なモノとして、個人ウェブサイトやコンテンツ管理システム、ディレクトリ(分類学)などが挙げられています(ちなみにこれらの Web 2.0 側の対応物は、順にブログ、Wiki、タグ付け(フォークソノミー)となっています)。確かに今後ブログや Wiki を利用する人は増えていくでしょうが、ホームページビルダーなどを使って個人ウェブサイトを作ることにも利点は残るのではないでしょうか。またディレクトリによる分類は、参加ユーザーの少ないサービス(例えば中小企業の社内システムなど)においてフォークソノミーよりも効果を発揮するはずです。要は Web 2.0 というクルマが発明されたからといって、誰もがいつでも・どこでもクルマに乗る必要はない、馬や徒歩の方が便利な場合もある --- ということでしょう。
そんなの言われなくても分かってる、と怒られてしまうかもしれません。しかし、何か「2.0」へと足早に移るようにせかされている気分になることがあるのです。もしどこかで「2.0」に対する違和感を感じることがあったら、ぜひ口に出してこう尋ねてみて下さい:
「それって2.0にする必要ってあるんですか?」
その本、おもしろそうですね!
投稿情報: 赤枕十庵 | 2006/05/30 09:32
『インポッシブル・シンキング』、なかなか面白かったですよ。興味があれば是非。内容はそれほど難しくないので、すいすい読めると思います。
投稿情報: アキヒト | 2006/05/30 16:00