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2006/08/17

コメント

matto

大学生や社会人なら、要領が良いことを評価したいところですが、小学生ですからねぇ。教師の指導をうけつつ、完全数を自分のやり方で見付けだすことよりも、創造的な(=知性を駆使した)作業を、件の児童がやりますかねぇ。

教育という点から言えば、自力で問題を解決することで達成感を得ることが、最も重要だと思います。さらに言えば、理解するとは、答を知ることではなくて、答を他者に説明できるようになる状態を指すと思います。ググって得た浅い知識を組みあわせるような「技術」を教えるのはもっと成長してからで十分で、まずは自分で考える力を鍛えるべきだと思います。

アキヒト

matto さん、コメントありがとうございます。
そうですね、自分で考える力を養うのももちろん重要だと思います。しかし、答えを考える必要のないもの(ググれるもの)は検索で手に入れて、得られない部分(創造性が要求される部分)に力を入れるというのも、現代における「考える力」なのじゃないのかなと思います。個人的には、「算数で計算機を使うことを許可するか?」に近い議論ではないかと感じているのですが。

ただ、それを教えるのが小学生に適しているか?と言われると自信がありません。matto さんの仰るように、まずは「自分で考える力」を養うべきだという考え方もあると思いますが、「並立は可能だ・並立すべきだ」という意見を検討しても良いのではないでしょうか。

matto

電子百科事典のようなもの(きちんとした説明が得られるもの)を援用して授業を行うというのはひとつの方向でしょうね。百科事典を引いてもいいけど、答は自分の言葉で書かせれば、理解しているかどうかはすぐわかります。

ネット検索は今のところ(たぶん将来も)あまりに有象無象の情報がひっかかってしまって、しっかりした判断力、考える力を持たない人が使っても正しい情報をひきだせないので、教育向きではないと思います。「正しい答をネットで探すのは難しいぞ」ということを教えるのには使えるとは思いますが。

Anonymous Coward

この児童が導き出した?のは、「3番目の完全数が496だと誰かが言っていた」ということであって、「3番目の完全数が496である」ということではないと思います。

何でもかんでもググれるとは言っても、ググって出てきた答えが妥当かどうかの判断は自分でしないといけないわけで……

情報を組み合わせる技能は、あくまで個々の情報に対する判断能力が付いていることを前提としていると思うので(間違った情報を組み合わせても間違った結果しか出てこない)、特に小さいうちは「自分で考える力」を重視すべきではないかという気がします。

アキヒト

matto さん、Anonymous Coward さん、確かに仰る通りです。「情報が正しいかどうかを判断する力」という視点が欠けていましたね。しかし食い下がってみると、そんな「判断力」もネットを通じた教育では得れるのでは・・・。mattoさんの言う「「正しい答をネットで探すのは難しいぞ」ということを教える、という感じですが。

ProjectK

難しいテーマですが、そもそも3番目に小さい完全数を導くことが、「生きる上」での「考える力」につながるか、と考えると、設問自体どうかという気もします。
さらにいえば、これは「496という答えを求める質問」ですが、1+1=?という日本式の質問ではなく、?+?=1というイギリス式?の質問のやり方もあったわけですし、そもそも質問者自身がプロセスではなく答えを見ているという陥穽もあるのでは・・・?
(ま、多分それもググれば答えが見つかるでしょうが。)

とまぁそれは些細な突っ込みですが、本を読むのもネットで検索するのも、情報収集には違いないわけで、それで「理解した」と思うのは最近の子どもも、それを嘆く大人も実は大差ないのでは、という気がします。その本や雑誌も有象無象じゃありませんか。

> 基礎的な情報はググって手に入れられるという前提で(それをできるだけでも凄いことだと思いますが)、そこから何かを生み出すことを育むような教育に移っても良いのではないか

それを考えることこそ、今のネット状況をただ批判する人たちが本当にやるべきことだという点には同感です。

トシ

「自分の頭で考える」というのは、窮極のところ、どこまで可能でしょうか?人の言ったことを思い出すのだって、本を読むのだって、ググるのだって、所詮は同じことなのではありませんか?
ことばを何も知らずにこの世に生まれ落ちて、それまで使われていたことばを獲得していく。人間の思考はそうして育って行くことを考えれば、本当の意味で自分の頭で考えることはできないことになります。きっと、本当に自分独自の思考ができたときには、自分以外の誰ひとり理解できないでしょう。
つまりは借り物の思考に過ぎないのだけれど、それをどれだけ速く、もう一度自分の頭を経由させて吐き出せるようにするか、という問題なのではないでしょうか?
ググれば速く答は出ます。ただ答を見つけるだけではだめで、もう一度自分の頭の中を通過させるテクニックも必要なわけでしょう。

問題は、独自の思考をどう育てるか、ということ。まだ誰も考えたことのない問題を見つけ出し、それを多くの人に分かることばで指し示すこと。
答えの導き方ではなく、問題の立て方にこそ、教育の必要性はあるのではないでしょうか?

toyoshi

要するに刀の使い方より銃の使い方が重要な感じで。
完全数の導き方よりGoogleの使い方を知っているということのほうが重要な世の中になっただけでは?

当然体力とかを考えたら刀を使えたほうがいいんだけど・・・っていう

AC

『「ググれる答え」は検索してしまって、セーブできた時間を』使う創造的な課題を、それも子供の教育向けのものを用意するのは、それこそ創造的な課題ではないでしょうかね。

アキヒト

みなさま、コメントありがとうございます。

> ProjectKさん

確かに情報収集という観点では、本を読むのもネットを検索するのも一緒ですよね。その点では、「本を読んだだけで分かった気になっている大人」も嘆くべき対象なのかもしれません(身につまされる・・・)。

> トシさん

「答えの導き方ではなく、問題の立て方にこそ、教育の必要性はあるのではないでしょうか?」という点、納得です。オリジナルな思考を持つためには、問題をどう立てるかというスキルを教育すべきかもしれませんね。既に繰り返されてきた問題であれば、ググって過去の英知を参照するというのも一つのあり方ですし。

> toyoshi さん

時代の変化、というものは僕も強く感じます。ググって効率よく考える方法、というものは現代で必要不可欠(だと僕は思う)スキルですし、それを小学校で教えるという発想があっても良いのでは。ただし、「刀ではなく銃」ではなく、「刀も銃も」がベストなわけですが。そこでガンカタ(以下略)

> AC さん

まさしく。はてブのコメントでも数多く指摘をいただきましたが、単にググるだけでは答えられない問題を出題する、という方向性が求められているように思います。「だからそれって何よ?」と聞かれても困りますが・・・。ただ計算機やコンピュータが普及したからといって、人間は堕落することなく、さらに高度な課題を見つけました。ググれる世界でも人間は堕落することなく、さらに創造的な活動へとコマを進めることができると思うのですが。

AC

上で述べた「創造的な課題」をオトナが教師が解いてみんな十分に使いこなせるようになるまで、子供達をググってコピペしか出来ない人間に育てて良いとは思わないので、初等の算数で電卓禁止のように、初等教育でググるの禁止はやむを得ないと思います。もちろんググる訓練・リテラシ教育は別のものとして。

chihhi

> 基礎的な情報はググって手に入れられるという前提で(それをできるだけでも凄いことだと思いますが)、そこから何かを生み出すことを育むような教育に移っても良いのではないか


その人ひとりの人生だけを考えるのであればそれでも良いのかもしれません。恥ずかしながら私も、学生時代レポートを書く際は情報収集をインターネットに相当な部分で頼っていた節があります。

ただ、「ググる」だけに依存して大人になった子は、数ある情報の中から必要な、精度の高い情報を素早く引き出すリテラシーは非常に高いと思いますが、その物事のバックグラウンド(何故そうなるのか そうなった経緯は何なのか)がわからず、「では今何が問題なのか」「今後どうしていくのか」について考える能力にはあまり期待できない気がしています。

問題は発見するのが一番難しい・・・既に発見されている問題は「問題だ」と認識された時点で「理想」とする姿があるわけですから、「どうすれば良いか」は誰でも考えつくわけですしね。
後はコミュニケーションスキルとか調整スキルとかそういう類の話になってくるわけで。


もしも「回線の先にある情報に頼って(それを組み合わせた範囲内で)解を見つける」という視点しか持たない子ばかりが育つような状況になったとしたら…
「国の根幹を為すもの(次代を背負っていく人を育てる)としての教育」ということを考えた場合、ただでさえ資源に頼れないこの国の将来にとって、それは極めて深刻な問題になるでしょうね・・・。


小5にこの問題は難易度高すぎでしょう。
考えても解けないから仕方なくぐぐったわけで
小5でもよく考えれば解ける難易度の問題なら
結果は違ってたんじゃないかなあ。
それからこの研究員と同世代の人間に
同じ問題をやらせたらどういう結果になっていたか。
まあどうせ自力では解けないでしょう。
なんせ教育の谷世代ですから。
他世代でも同じように検証しなけりゃ今の子供の考える力の検証にはならない。

やる気を引き出すのが教育じゃないの?

『3番目に大きな完全数を求めよ』なんて課題を出すのは
教育じゃないよ。「選抜」だ。それに対する回答の方法に
よって被験者を選別することができる。だがもともと
何をどうやってよいのか皆目分からない様なことを勝手に
やらせるのは勝手にやらせてるだけで全然「教育」じゃない。
もし見事に数学的証明ができる小学生がいたら戸塚さん
なんかその場に存在しなくてよいよ。教育ていうのは、
ある程度までやり方を猿真似で学習させてから、ちょっとだけ
飛躍した課題を与え、「これならできそうだ」という意欲と
好奇心をかきたてることでさらなる学習や創意工夫への
モチベーションをかきたてることが、本質だ。
その「やる気」をそいだのは誰のせいなの?

この小学生は数学者にはならないかもしれないが優秀な
商社員になるかもしれないしね。

トシ

ところで、「3番目に大きな完全数は?」っての、『博士の愛した数式』に出てきますよね。パクリじゃないの?

ProjectK

たびたびすみません。

考えてみると、大人のビジネスの世界では、「ググることさえ必要のない」情報提供が求められ、ちょっとでもなじみのない言葉を使おうものなら「お前の言っていることは分からん」と見向きもされないことも日常茶飯事な気が・・・。

そういう世界に生きている人にとっては、ググるなんていうのは想像を絶することなのかもしれませんね。

社長のインタビューを社内向けにリライトしていて、分かりにくそうな言葉に丁寧に注釈をつけている自分を省みて、「せめて自分でググってくれた方がまだまし」なんて考えてしまうのでした・・・。

アキヒト

みなさま、コメントありがとうございます。
「はてブ」でも多くのブックマーク+コメントをいただいてしまいましたが、時間がなくて全てに反応しきれていない状況です。ごめんなさい。

皆さんのコメントを読んでいると、「出題の仕方も考えるべきだった」という意見も多いですね。小学生に完全数、というのはどうかと。僕は「あえて難しい質問をして、そのアプローチを見る」という目的だったのだと解釈していますが、その際に「たとえ難しくても、ググったり図書館で調べたりしないこと。間違えてもいいから自分だけで考えなさい」といった指示が必要だったのではと思います(そんな指示をしていたのかもしれませんが)。

「ググる/ググらない」は結局どちらも必要なスキルで、最終的にはバランスの問題というオチになってしまうと思います。なのでどちらが正解という議論は避けたいと思いますが、研究者の方々には「あーあググって答え出してきたよ。まったくネット世代はしかたねーな」と嘆くだけではなく、「どうしてググったら答えが出たんだろう?君はこの答えが正しいとどうして思ったの?」などといった質問をして、そこから「教育」につなげていくような姿勢を期待したいと思います。

AKSK

結局この出題者に、考える力を検証できるような問題を考える力がなかったというオチですか。

アキヒト

AKSK さん、「結局この出題者が、考える力とは何かという議論を巻き起こすことに成功した」というオチかもしれませんよw

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