37signals の Signal vs. Noise で、「試す」と「使う」は違うものだ、という議論がありました:
■ The difference between trying something and using something (Singal vs. Noise)
曰く、
- 「使う」よりも「試す」人が多いので、多くの製品/サービスは「試す」人々のために最適化されている。
- 「試す」というのは、ある製品/サービスのスクリーンショットを見て、登録して、少しの間遊んで、意見を言って、次の製品/サービスに移ってしまうこと。
- 多くのレビューは「試す」ことを通じて得られた経験に基づいている。従って多くのレビューが薄っぺらで、本質に触れていない。
- ある製品/サービスに対する深い知識は、「使う」ことによってしか得られない。
というもの。確かに仰る通りで、僕もまさに多くのWEBサービスに対して「スクリーンショットを見て、登録して、少しの間遊んで、意見を言って、次に移る」という行為を繰り返しています。その時「こんなの使えねー」と感じたサービスの中に、実は非常に有益なものがあるのでは?と聞かれたら、そうかもしれないと答えざるを得ません。
しかし、「使う(じっくり腰をすえて何かを使い続ける)」という行為に至るには、必ず「試す」というステップが発生します。そこでユーザー(というより、「試している」人なので「テスター」と表現すべきでしょうが)の心を掴めなければ、ずっと使ってはもらえないわけです。従って、「多くの製品/サービスは試すことに最適化されている」のはある意味仕方ないのではないでしょうか。
製品/サービスの提供者が「ちょっと使っただけでテキトーな意見を言いやがって。じっくり使わなきゃこの良さは分からねーんだよ!」と言いたくなる気持ちは分かりますが、ここはぐっとこらえて、
- 「試す」人々がひきつけられるような、分かりやすい・目立つ価値を用意しておく。
- 繰り返し再ログインしたくなる(=「使う」ステップに移行したくなる)ような仕掛けを用意する。
- 本質的な価値ができるだけ短期間で分かるような工夫をする。
といった取り組みをする必要があるのではないでしょうか。前掲の記事中の例えを使うなら、「金メッキのモノよりも金で作られたモノの方が価値がある。しかし金だということが分からなければその価値は無いのと一緒」なのですから。
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