すみません、もういっちょ"Made to Stick"ネタで。別にこの本を売って儲けたいという話ではありません(けど買っていただけると十数円が僕の懐に落ちます)。
昨日も書いた通り、プレゼンには具体的なデータが欠かせないというのが鉄則になっていますが、必ずしもデータを出しときゃ大丈夫という話ではない -- むしろ有害な場合もある、という話。同書の中で、こんなエピソードが紹介されています:
- 世界中の恵まれない子供達に対する支援を訴える、2通の手紙を作成した。
- 一通は「マラウィでは300万人の子供達が飢えで苦しんでいる/エチオピアでは1,100万人の子供達に対する緊急の食糧援助が必要である」というような、統計データを多用したもの。
- もう一通は「あなたの募金はロキアという少女を救うために使われます。ロキアはマリに住む7歳の少女で、非常に貧しく、飢えと乾きに苦しんでします。」というような、一人の少女にフォーカスしたもの。
- この2通の手紙を送付し、反応を分析したところ、統計データを使用したものに対する募金の平均は$1.14、少女にフォーカスしたものの平均は$2.38だった。
というもの。確かに「恵まれない子供たちの里親になりませんか?」みたいな慈善事業は募金が集まりやすいという話も聞きますし、「情に訴える」というのは感覚的にも理解しやすい現象でしょう。しかし意外だったのは、次の実験結果でした。
上記の結果を受けて、「統計データと情に訴える話、2つをセットにした手紙」を作って送ってみたところ……募金の一人当たり平均額は $3.52 にはならず、$1.43 という結果に終わったとのこと。統計データのみの場合よりは良い結果ですが、ロキアの手紙だけの場合よりはむしろ減少してしまっています。何が悪かったのでしょうか?
文中では「統計で全体像を見せられると、『自分がちょっと寄付したぐらいで』というような無力感に襲われてしまうからだ」「データを見せられると、『分析思考』になってしまい、『情に訴える』効果が薄れてしまうからだ」というような解説が載せられているのですが、理由はどうであれ「データを見せてしまうことで説得力が落ちる」という場合があることに注意しなければいけないと思います。「説得力」というよりも、「行動促進力」「肩を押す力」と言うべきでしょうか -- データを使えば、観客を「問題を正しく理解した」という状態にはできるかもしれないけれど、「それによって求められている行動を取った」という状態にはできない恐れがあるということですね。
同書では別の事例として、Jerry Kaplan 氏(こんな本を書いてる人)がベンチャーキャピタルの前で行ったプレゼンテーションが解説されています。彼は当時開発しようとしていたハンドヘルドコンピュータへの資金提供を訴えるため、小さな皮製ケースを使ったプレゼンを披露します。その他の資料はまったくの準備不足だったらしいのですが、にもかかわらず多額の援助を受けることができたとのこと。これは「ロキアの手紙」同様、具体的なデータを出さなかったことで成功した事例かもしれませんね。
と言いつつ、なかなか会社絡みでは「データを出さない資料」を出すのは難しいと思いますが……。ただ資料の目的が何らかの行動を促すことであれば、上記のようなデータの「弊害」を心に留めておく必要があるのかもしれません。
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