先日、『プロパガンダ教本 ― こんなにチョろい大衆の騙し方』という本を買ってきて読みました。1928年発表ですから80年近く前に書かれたものなのですが、「W・リップマン『世論』と並び、PRマン、広告関係者必須のバイブル的な存在となっている」本とのこと。
内容はその名の通り「プロパガンダ」の効果と実践方法について。しかしここで言う「プロパガンダ」とは、「国が(主に悪い目的のために)大衆を扇動する」などという行為ではなく、今日ならどんな企業でも実践しているPR・マーケティング手法に近いです。著者のエドワード・バーネイズはあえて「プロパガンダ」というイメージの悪い言葉を本書のタイトルに使っているのですが、その辺の理由は彼の経歴に関係がありますので、興味のある方はこの本の訳者解説をご覧下さい。
さて、副題に「こんなにチョろい大衆の騙し方」とあるのでよっぽどあくどい方法が解説されているのだろうと期待(?)していたのですが、中身は意外にマトモでした。確かに紹介されている手法を悪用すれば、誤った考えを人々に植え付けることが可能でしょう。しかし著者のバーネイズは、倫理的規範を持って「プロパガンダ」手法を使用するように随所で注意しています。例えばこんな感じ:
PRコンサルタントという職業は、法律や医療の専門家に適用される倫理規範と比べても遜色がないほどの厳しい倫理規範を求められている。ある意味、PRコンサルタントの仕事が持つ性質によって厳格な規範を押し付けられているのである。弁護士と同じように、誰でも自分の主張は自分にとって有利なように示すのが当然であると認める一方で、それでもやはり、誠実ではないと思われるクライアントや、詐欺だと思われる商品や、反社会的だと思われる主張を宣伝するのは拒否しなければならない。(pp.76-77)
ただし、バーネイズ自身はそれほど倫理的な行動を取っていなかったようです。これも訳者解説に詳しいのですが、例えばタバコが健康に及ぼす害を知りながら、タバコを女性達に売り込むキャンペーンに参加していたとのこと。そんな背景があるので、出版社の方々はどうやら「著者のバーネイズはプロパガンダ手法を悪用し、大衆を騙していたとんでもないヤツだ。そんなヤツの主張だから、批判的に読まなければならない」と考えられているようです。それが「こんなにチョろい大衆の騙し方」という副題や、随所に掲載されている「プロパガンダは悪」なイメージ画像(例えばブッシュ大統領が9・11の現場を鼓舞する写真の横に「テロとの闘いを叫ぶブッシュ大統領、これもプロパガンダ」と書かれているものなど)となって現れているのでしょう。
繰り返しになりますが、この本は何も「大衆をダマせ!」と言っている本ではありません。確かに「大衆は導かれなければならない」的なエリート主義の要素も含まれていますが、その辺はこの本が書かれたのが20世紀初頭であることを加味して考えなければなりませんし、一方でこんな主張もされています:
また、一般大衆というのは、こちらの思うままに型にはめることができたり、あるいは一方的に命ずることができる無形の集団ではない。企業にも大衆にも、それぞれが持っている特徴がある。それらの間に、いかにして上手に折り合いをつけるかということが重要なのだ。双方が衝突したり、不信感を抱くような事態はどちらにとっても有害だ。
現代社会で活動する大企業は、どのようにすれば、そのパートナー関係を友好的で互いに利益をもたらすものにできるかということを研究しなければならない。企業の実体、理念、目標を一般大衆に理解できるように示すと同時に、彼らが望んで受け入れようと思うように示さなければならないのである。
大企業は一般大衆から指図されてもそれを快く受け入れようとしないものだが、だからといって、大企業の側でも一般大衆を直接に指図できるなどと考えてはならない。企業サイドは大衆の関心がかなり細かくなってきていることを認め、大衆の求めるものを理解して、それを満たそうと努力すべきなのだ。(pp.107-108)
ということで、現在盛んに唱えられている「顧客の声に耳を傾けること」的な議論も登場しています。この辺も極めて正統派、といった感じ。
そんなわけで、この本は『プロパガンダ教本 - こんなにチョろい大衆の騙し方』というより、原題のまま『プロパガンダ』で売り出して欲しかったように思います。変な煽りを入れてしまうと人々が敬遠してしまい、この本に含まれているナレッジが活用されないままになってしまうような気がするので。以下の引用に「なるほど」と感じられた方は、一度手に取ってみて下さい:
この目に見えない、互いに絡み合ったさまざまなグループと、グループ間に存在する相互のネットワークは、全体でひとつのメカニズムになっている。このネットワークを利用して、現代の民主主義社会では集団思想が作り上げられているし、大衆の考えは一つにまとめられているのだ。(p.36)
プロパガンダを行う人々を私は本書の中でプロパガンディストと呼んできたが、このような人々にとって重要なのは、さまざまなプロパガンダの方法の全体の中での相対的な位置づけや、その大衆との関係が絶えず変化していると理解することだ。こちらのメッセージを相手に対して確実に届けようとするならば、この位置づけの変化が起こった瞬間に、それをうまく利用しなければならない。50年前、市民集会は、ひときわ優れたプロパガンダの手段だった。だが今日では、人目を引くアトラクションがプログラムに組み込まれているのでもない限り、ほんの一握りの人でさえ会場に足を運ばせるのは難しい。自動車が人々を地元から遠ざけ、ラジオが人々を自宅に引き止め、毎日発行される新聞がオフィスでも地下鉄でも人々に情報を伝えるのを可能にしたからだ。(pp.214-215)
最初の引用は、クチコミ・マーケティングを考える際のアドバイスにも聞こえますね。実際、本書では情報の伝え手として、医者や教師などの「インフルエンサー」を活用する手法を紹介しています。ブログ時代にバーネイズが生きていたら、この新しいメディアをプロパガンダにどのように組み込んだのだろうか……と想像してみるのも面白いかもしれません。
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