最近ヒマな時間があると、ケータイから mixi にアクセスして mixi ニュースを見ている自分がいます。見るのは主に社会/芸能ネタ。そして記事を読んだ後には関連する日記を読む、というのがお決まりのパターンです。mixi を使っている方にはご存知の通り、mixi の各ニュース記事には「このニュースに関する日記を書いた人」というコーナーがついていて、当該記事を引用しているユーザー日記にすぐにアクセスできるようになっているわけですね。Yahoo! ニュースの「この話題に関するブログ」と同様です。
でフト思ったのですが、これってワイドショー的な楽しみ方なのかも。特定のニュースを探しているわけではなく、何でもいいから面白いネタを提供してもらって、それに対するコメントを聞く(読む)という……ワイドショーでコメンテーターが果たしている役割を、mixi ニュースや Yahoo! ニュースでは日記/ブログを書くユーザーが果たしている、という位置付けですね。
ご存知の通り、最近はワイドショーが低迷していると言われるわけですが:
■ 東京TV事情 午後のワイドショーが消える? (asahi.com)
ワイドショー的なコンテンツ、つまり「ネタ」とそれに対する「ツッコミ(コメント)」のセットというものは、形を変えて常に存在するのかもしれません。
考えてみれば、ある事実(「政治家が不正を働いた」「サッカー日本代表がワールドカップ出場を決めた」など)を目の前にしたとき、人間は
「これって許せないよね?」
「これってバカバカしいよね?」
「これって嬉しいことだよね?」
…
といった具合に、誰かに同意を求めたくなるものですよね。「自分と同じ感情を抱いた人がいる」ということを実感するのは、誰にとっても楽しい体験でしょう。その体験をテレビというメディアで提供していたのがワイドショーで、ネット上で提供するのが「ニュース記事+関連ブログ/日記」という機能なのではないかなと思います。
その意味で、上掲の asahi.com の記事にあったワイドショー衰退の分析:
テレビ評ライターの桧山珠美さんは、「ワイドショー全盛期には、世の中に井戸端会議のようなコミュニティーがまだあった。でも今はそれが崩壊して個人主義が進んでいる。他人のことよりも、自分が得をする情報に興味がある人が多くなった気がする」という。
はちょっと不十分なのでは、と感じます。確かに個人主義が進んでいるかもしれませんが、「知れば得をする」といった情報ばかりが求められているわけではないでしょう。ワイドショーが衰退したのは、視聴者が抱く「これってこうだよね?」という感情に対して、共感できるメッセージを投げ返せなかったことにも一因があるのではないでしょうか。またそもそも取り上げるネタが、視聴者の興味に一致していない、ということもあるでしょう。
しかしテレビに対して視聴者が共感を抱けなくなったのは、視聴者の側に関心の多様化が生まれたことが一因でもあるわけで。そもそもマスメディアでワイドショーを行う、ということ自体が難しい時代なのかもしれないですね。仮に mixi のユーザーがこのまま拡大して、全世代にまんべんなくユーザーが存在するような状態になったら、ニュースに付けられるコメントも「これは正しい」「いや間違っている」といった具合に千差万別になるでしょう。そしたらヒマな時間に mixi ニュースを見て、「みんな同じように怒ってるなあ」とカタルシスを感じることもできなくなるでしょうから、次第に mixi ニュースから離れていくような気がします。
ただし今のところ、mixi ニュースは自分にとっての「マイ・ワイドショー」として成立しています(欲を言えば「マイミクがニュースに対して付けたコメントを見る」といった機能があれば、より自分の感じたい「共感」に近づけると思うけど)。草野仁さんの姿を『世界ふしぎ発見!』でしか見られなくなっても、しばらくは寂しいと思わないかな。
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