「仏教2.0」なる単語が飛び出す記事を読んで、なんだかなぁと思っていたのですが:
■ あの世とこの世をつなぐインタフェースの展示会、光明寺で開催中 (Engadget Japanese)
中島聡さんの『おもてなしの経営学 アップルがソニーを超えた理由』を読んでいて、実は「寺のIT化」は時代のニーズなのかもしれないと感じました。そんなことを考えた箇所を引用すると:
ブログについて常々思うのは、僕が死んだら誰もブログに書き込まなくなるのだし、死後もずっと読めるようにしてくれ、ということですね。そんなサービスを誰か提供してほしい。骨になったらコミュニケーションもとれないのだから、お墓を残していても意味ないけど、ブログをインターネット上に置いておけば、30年、40年たったあとでも誰かが見に来てくれるかもしれない。お墓に永代供養料を払うお金があったら、ブログを維持するほうに使いたい。
という部分。「死んだ後、ブログ/SNSのアカウントや、そこに残されたコンテンツはどうなるの?」という議論は以前からありましたが、永代供養料と結びつけて考えられていたのは初めてでした。確かに「墓」というものは、自分が死んだ後もずっと残る(という前提の)サービスであり、その料金が永代供養料なわけですよね(法事に詳しいわけではないので、間違っていたらご指摘いただきたいのですが)。しかし「墓」は情報発信できないのだから、だったら同じ発想で「ブログ」に永代供養料ならぬ「永代ストレージ料(?)」でも払いたい、というのは納得です。
だったらいっそのこと、寺にIT化してもらって、その辺を保守してもらったらどうでしょうか。あらかじめ死後にブログ/SNSアカウントをどうするか伝えておいて、必要があればコンテンツを寺の「墓サーバ」に移行、決められた人が見えるように置いておくと。加えて文章や画像など、ネットにアップされていないファイルも預けることが可能で、寺は責任を持ってそのファイルを管理する(必要に応じてフォーマットを変換したり、媒体を変えることで、過去のデータでも常に閲覧可能状態にしておく)などということになれば完璧でしょう(ついでにヤバいファイルはコッソリ消してあげるよ、なんてのもありかも)。またお寺であれば、墓を維持・管理してきたノウハウや、遺族とどう付き合うかといったノウハウなども活用できるのでは?
ということで、寺にIT化というか、ネット化してもらえば話が早いんじゃ……などと考えてしまいました。実際、Engadget の記事で紹介されていたようにIT化を進めているお寺は結構あるようですし、「故人が遺したデジタルコンテンツをどう扱うか?」を考えている宗教関係者は多いのではないかと思います。
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