スタンフォード大学のロバート・サットン教授が書かれた本"The No Asshole Rule: Building a Civilized Workplace and Surviving One That Isn't"を読んでいます。"asshole"は文字通り「ケツの穴」(失礼)という意味で、イヤなヤツを示す言葉。「職場に嫌なヤツがいることで、様々な弊害が起きる。彼らを職場から追い出す(No Asshole)、あるいは自分自身が asshole にならないためにはどうするべきか」を考えるのがテーマの本です。
その中にちょっと面白い主張がありました。「職場に嫌なヤツを生まないために、嫌なヤツを一人置いておいた方が良いかもしれない」というもの。その理由について、本書ではこう主張されています:
Cialdini's other studies showed that although people are generally less likely to litter when a place is clean rather than messy, they are less likely to litter when there is one piece of garbage on the ground rahter than no garbage at all. Again, the same principle shows that when one person or perhaps two people break a known rule, we are actually more likely to carefully follow it than when no one breaks it -- because the stark contrast between the bad behavior of a single "deviant" makes everyone else's "good behavior" more vivid in our minds.
Cialdini が行った他の研究によると、汚れている場所よりはきれいな場所の方が人々はゴミを捨てようとしないが、チリひとつ落ちていない場所よりも、ゴミが1つだけ落ちている場所の方が、人々はゴミを捨てようとしないそうである。ここでも、「一人か二人の人が明示されているルールを破ることで、皆がルールを守っている場合よりも、我々はよりそのルールを守るようになる」という原理が成立している。一人の逸脱行為によって、他の人々の「良いふるまい」が明確なコントラストとなって現れるからだ。
つまり皆がルールを守っている状態だと、逆にそれが目立たなくなってしまうわけですね。誰かがルールを破ることで(さらに罰を受ける姿を見ることで)、残りの人々の「ルールを守ろう」という気持ちがより強くなる――皮肉な話ですが、確かに納得できるメカニズムです。
それでは、皆が利己的な振る舞いをしたり、粗野な態度を取らなくなるように、「わざと」そうした人物を置いておくべきなのでしょうか?これに対して、サットン教授はこんな答えを出しています:
「どんなに頑張っても、職場にはひとりやふたり、嫌なヤツが出てきてしまうものだ。だから『わざと』嫌なヤツを置いておこうとしなくても、ルールを作って厳格に実施されていれば、ちょうど良い状態になる」
とのこと。これもその通りかもしれません。ただし「ルールを作っても守られない(守らなくても何の罰も受けない)状態だと、逆に『何をしても許されるんだ』というモラルの崩壊を招くので、ルールを作らない方がマシ」とも指摘されています。従って、嫌なヤツに職場にいて欲しくない場合には「あくまでも一掃されることを目標にする(その結果、一人か二人の逸脱者が出て、逆にルールが徹底される)」という態度で対応しなければならないのでしょう。
< 追記 >
はてブを見ていたら、どうも誤解を与えてしまったようなのでちょっと追記(申し訳ありません)。
この本で言う"asshole"とは、「嫌いなヤツ=いじめられっこ」というイメージではなく、むしろ職場でのいじめを率先して行うような人物のことです。そうした人物が職場の空気を悪くしたり、パワハラしたりするのをどうやって防ぐか、というのが本書の目的。決して「イジメはしょうがない」「なくならない」論ではないので、その点だけ訂正させて下さい。
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