シロクマ日報に書いた「ニュースは現実ではない」という話は、まぁ当然と言えば当然の話で、ほにゃららリテラシー的な常識論の世界でしょう。しかしこんな話はどうでしょうか。
「コーネル大学が自殺で有名なのはなぜ?」
実はコーネル大学は自殺が多いことで有名だそうで、2ちゃんのスレの中でもところどころで話題にされています。ところが『日常の疑問を経済学で考える』によると、
コーネル大学では10万人のうち4.3人が自殺する。これは全米の大学生の平均自殺率の半分以下である。にもかかわらず、同大学は、長いあいだ、実際以上に自殺率が高いと考えられてきた。
とのこと。まったくの濡れ衣なわけですが、なぜ自殺で有名になってしまったのでしょうか。同書は原因をこう推測しています:
カーネマンとトヴァスキーによれば、人は経験則を使うという。たとえば、ある出来事がどれくらいの頻度で起こるかを推測するとき、その出来事がよく覚えているものであれば頻度は高いと考える。頻繁に起こることはよく覚えている、というのが経験則による合理的な根拠である。
しかし、頻繁に起こる出来事ばかりでなく、目立った事件というものもよく覚えている。コーネル大学の学生の自殺率が実際よりも高い印象を与えるのはそのためだろう。他大学で起こる学生の自殺事件は、睡眠薬の過剰摂取によるものが多く、それほど記憶に残らないが、コーネル大学は氷河の浸食でできた峡谷にあるため、自殺者の多くは峡谷にかかる橋から飛び降りる。自殺者が出ると、橋周辺の道路は数時間にわたって通行止めになり、捜索隊が遺体を回収するために、ロープを使って谷を降りる。よって、記憶によく残るため、コーネル大学では学生の自殺事件がよく起こると思ってしまうのだ。
要は「飛行機事故は自動車事故よりずっと確率が低いのに、いちど事故が起きると悲惨な状況が大々的に報じられるので、『飛行機は危ない』という認識が広まってしまう」というのと同じような話なわけですね。「よく覚えている=何度も起きる、もしくはインパクトが強い出来事」なのに、「よく覚えている=何度も起きる」としか考えない傾向があるという点に問題がある、と。
さて、最近日本では「若者による犯罪が増えている」という論調が一般的です。しかし実際の統計を見ると、過去と比較してもそれほど少年犯罪が多くなっているわけではないということは様々なところで指摘されています。なのに「最近の若者は……」という話が出てしまうのは、メディアにも責任がある一方で、上記のような「衝撃的な事件を強く記憶してしまう」という人間の心理にも原因があるのかもしれませんね。
そういえば日本の自殺者数は10年連続で3万人を超えたそうですが、それが話題にされたり、ニュースで取り上げられる回数は多くありません。一方で「硫化水素自殺」がセンセーショナルな取り上げられ方をされたのが記憶に新しいところです。現実を正しく把握するには、「ニュースは現実ではない」という姿勢に加え、「目立つ出来事はよく起きることと勘違いしてしまう」という自覚も必要なのでしょうね。
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