最近忙しくて本を読む時間がないのですが、これまたふらりと立ち寄った書店で出会った『ポジショニング戦略』を読んでいます。「ポジショニング」とは、マーケティングに触れたことがある方なら誰でもご存知のはずの有名なコンセプトですが、その生みの親による解説がこの本。30年以上前に書かれたそうですが、いまだにその骨子は色あせていません(流石に登場する事例は古くなっていますが)。むしろこの本に書かれている「情報が溢れかえっているために消費者にメッセージを届けるのが難しい」という状況は悪化する一方で、今こそ本書を読むべき、という意見に一票入れたい感じがします。
で、その中でネーミングの重要性を語っている部分に、こんな一節がありました:
心理学者のハーバード・ハラリ博士とジョン・W・マクデイヴィッド博士は、「小学生がなぜ変わった名前のクラスメートをからかうのか」を探るために、ある調査をした。4、5年生が書いたと思われる作文に、ありふれた2つの名前(デイヴィッドとマイケル)と、あまり見かけない名前(ヒューバートとエルマー)をつけ、それぞれ異なる小学校教師のグループに採点してもらったのだ。もちろん、教師たちは通常の採点だと信じていた。
その結果、デイヴィッドやマイケルといった名前のついた作文の方が、ヒューバートやエルマーといった名前のついた作文よりも、平均で1ポイント高い成績がつけられていたことがわかった。「教師たちは、過去の経験から、ヒューバートやエルマーのほうが出来が悪いものだと思いこんでいるのです」と博士らは言う。
とのこと。1ポイントではそんなに大きな差でもない気がしますが、入試や採用試験の場面で、人生を決める1ポイントになったら大変です。この実験が本当ならば、こんな名前の僕はすぐにありふれた名前に改名しなければいけないところ。(しかしヒューバートやエルマーって、日本人の感覚でいうとどの程度変わった名前なのでしょうか?「りあむ」ぐらい?)
もちろんネーミングの重要性など、いまさら言われなくても当然分かっていることでしょう。しかし「採点」という、論理的な思考の元で行われるはずの行為であっても、名前による影響が見られるということには注意しなければいけませんね。また「良男」「賢治」のように明らかな価値を示す言葉が含まれていなくても、過去の経験や歴史、環境などといった外部要因が名前に価値観を与えてしまう可能性があると。うーん、ウチの子供の名付け、もうちょっと慎重にすれば良かったかなぁ……。
ともあれ、これから新しいモノやサービスを立ち上げるという方、もう十分注意されていると思いますが改めてネーミングにはご注意を。たった一言で、合否を左右する1ポイントを失ってしまうかもしれません。
コメント