書こうかどうか悩んだのですが、結局書くことに。オルタナティブブログ、けんじろうさんによる「裏サイトいじめ対応談」です:
- 学校裏サイトで娘が実名で攻撃され、父としてメールを送ってみた。
- 娘を攻撃する学校裏サイトに親としてメッセージを書いた結末
- 娘を攻撃した学校裏サイトでの「いじめ」が解決した~子供のネット規制は禁酒法時代の二の舞か?
この3部作に対して、「はてなブックマーク」上では賛否両論が出ています(その1/その2/その3)。「よくやった、すばらしい父親だ」「高校生なのに口を出しすぎ、逆効果になるリスクもあった」など、これだけ反応がハッキリと分かれるケースも珍しいかも。
親の立場としては、けんじろうさんの取った行動(裏サイトに「娘をいじめないで」と書き込み、飛び火したコメントに対しても見つけ出して対応)に賛成したいと思います。仮に自分の娘が同じ立場に立ったら、それこそ持てる知識を総動員して潰しにかかるでしょう。子供が何歳だろうが、いじめの犯人がどんな人物なのかなんて関係ない、いじめが原因で自分の子が死に追いやられてしまった後では遅いのだから。
しかし全てのケースでこの対応を奨励すべきかと言えば、それも無理なように感じます。けんじろうさんの場合、娘さんがしっかりされていたこと、親の側にネットの知識があったこと等に注目しなければならないでしょう。さらに付け加えるとすれば、y_arim さんが指摘されているように
娘の学校行事に積極的に参加していたというのは、それだけ余裕のある証拠だ。経済的にというか文化的にというか。
という部分も忘れてはならないと思います。もっと子供に接し、サポートしてやりたくても、仕事が忙しくてとてもそんな時間的・精神的余裕がない。そういうケースもあるでしょう。特にいじめの問題は、完全に解決するまでには長い時間を要するものですし。(「だから何だよ、死力を尽くして立ち向かえ!」という言葉は、僕は現在の僕自身に言うことはできますが、他人に向かって言う勇気はありません。)
さらに言えば、何をもって「いじめの解決」とするかによっても判断が変わってくると思います。ひとまず目に見える部分でのいじめが無くなれば良いのか。自分の子供だけが守られればいいのか。いじめの犯人が改心して、他の子供もいじめないように成長することまで目指すべきか。あるいは、親の介入がなくても問題が解決できるように、関係した子供たちすべてを教育しないと真のゴールとは言えないのか――これだけでも、人によって考えることはバラバラなはずです。
従って、この3部作を読んだだけで「やっぱり親が出て行かないと」「大人が脅せばガキどもは言うことを聞く」などといったレベルの方法論を導き出すのは危険だと思います(ちなみにけんじろうさんご自身も、この対応が絶対だと喧伝されているわけではありません)。「けんじろうさん親子はこのような対応をして、この場合は上手く行った」――それ以上でも、以下でもないでしょう。この体験談をどう活用するかは(活用する場面など来ない方が良いのですが)、私たち一人一人に任されていると思います。
ただ1つ学べるのは、全編を通じて、けんじろうさん親子がポジティブな対応をしていることではないでしょうか。ポジティブといっても「楽しそう」などという意味ではなく、立ち向かおうとする意志というか、いじめに押しつぶされない姿勢のようなものを感じます。「良い結果に終わったからこそ書いているんだろうな」という思いも当然ありますが、そんなポジティブな空気があるために、僕はこの3部作を読んでいても不安を感じませんでした。仮にけんじろうさんがまったく別の対応を取っていたとしても、結果的にいじめは解決していたように思います(前述の通り、何を「解決」と呼ぶべきかという話は残りますが)。前の言葉とは矛盾しますが、「あきらめずに立ち向かうこと、その意志を子供にも見せること」を、僕自身は教訓にしたいと思います。
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