シロクマ日報でも書評を書いた通り、ようやく『ハチはなぜ大量死したのか』を読了しました。文章のスタイル(独特の言い回しやユーモアがちりばめられている)には賛否両論あるようですが、個人的には好きなタイプで、時間が取れてからは一気に読み進めてしまったほど。付録を除けば300ページにも満たない内容ですので、軽く読めると思います。
で、シロクマの方では長くなってしまうので触れなかったものの、この本でもう1つなるほどと感じた部分があります。ちょっと長くなりますが引用してみましょう:
私たちは生物の集団的消滅を災厄とみなしがちだが、これは問題を修正する自然の方法であることがある。私が住んでいる地域では、過去10年間にとても強力な狂犬病の菌種が蔓延して、80パーセントのキツネを殺してしまった。この集団消滅は、病にかかっていたり弱っていたりしたものをすべて取り除くことになり、今ではより抵抗力のあるキツネが増えて、もとの数に回復した。このような「好況と不況」のサイクルは、短期間で繁殖を繰り返す昆虫や動物ではよくみられることだ。
あたかも蜂たちは、ミツバチヘギイタダニを利用して消滅したがっていたかのように思える。これは、病気を一掃するための彼らの方法なのだから。ちょうど私たちの体が、病気を一掃するために胃腸管の中身を体の外に排出したあと、再び立ち直るのと同じだ。実際、野生の蜂も壊滅した。ミツバチヘギイタダニは、実質的に野生の蜂を全滅させてしまった。けれども今、このダニに抵抗力を持つコロニーがアメリカの森に再び姿を現している。飼われているミツバチも壊滅したかったに違いない。惨事を早く経験してやり過ごしてしまいたいと。けれども、人間がそれを許さなかった。薬品とサプリメントをつっかい棒として与えて、私たちは彼らが壊滅していく過程を拷問のようなスローモーションにしてしまった。
とはいえ私たち人間は、そうせざるをえなかった。ミツバチは、大きな変動を起こす自然の生態系の一部であると同時に、「好況と不況」のサイクルとはなじまない経済システムの一部に組み込まれているのだから。木の実やフルーツを食べないで何年も我慢するような消費者がどれだけいる?ミツバチが遺伝子のシャッフルをする間、まったく収入なしに耐えられる養蜂家がどれだけいる?
もちろん「自然が持つ復元力に期待する」という方法が、常に上手くいくとは限りません。ナウシカの腐海のように、再生プロセスが人間にとって非常に過酷なものになる可能性もあるでしょう。また仮に最終的に元通りになるとしても、上記の引用中にもある通り、人間の経済システムはそんな悠長なことをしてはいられません。従って、災厄を受け入れて進化を図るという選択肢は現実には非常に難しい話だと思います。
それでも上記のような考え方は、災厄というものに対するオルタナティブなアプローチになるのではないでしょうか。同意を得やすい例を挙げれば、「100年に一度」と呼ばれる最近の経済危機に対して、弱った産業を捨てて新しい産業に移行すべきだという議論があります。これまた最近話題の本『グリーン革命』についても、「環境問題から逃げるのではなく立ち向かうことで、逆に競争力のある社会をつくる」という点で、災厄という淘汰圧を進化に利用しようという考え方でしょう。どちらも「見捨てられた産業で雇用されている人々はどうなるんだ」「新しい競争力が身につくまでに新興国に負けてしまう」という反論は根強いものの、従来のシステムでいつまで持つのか?という不安は拭えないはずです。
『グリーン革命』では、厳しい環境基準(=淘汰圧)を設置している欧州諸国や日本といった国々ほど、逆にグリーン市場で競争力を得ている例が紹介されています。災厄を目の前にしたとき、古くなったシステムを維持することに奔走するのではなく、新しいシステムに少しでも早く移行できるように努力する。あるいは旧システムの崩壊により不利益を被る人々を、できる限り救済できるようなセーフティーネットを用意する。今回の経済危機に関して、実際に一部の国々で始まっていることですが、ミツバチの話を読みながらそんなことに思いが及んだ次第です。
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