ナシーム・ニコラス・タレブの『ブラック・スワン』を下巻の3分の1ぐらいまで読みました。評判通りの(?)悪文、ではなくて文学的な文章なので、理解しようとしながら読むと結構時間がかかります(『まぐれ』はそれほどでもなかったような気がするんだけど……)。僕?すでに全てを理解するのはあきらめていますが何か。
というわけでちゃんとした書評は弾さんにお任せするとして、ちょっと面白いと思った箇所を。上巻の後半部分、情報の多さが必ずしも良い結果をもたらさないことを解説する部分で、こんな実験が紹介されています:
人を集めて2つのグループに分け、ピンぼけの消火栓を見せる。それがなんだか見分けられないぐらいのピンぼけだ。一方のグループでは、解像度を10段階に分けてゆっくり上げる。もう一方のグループではもっと素早く5段階で上げる。同じ解像度の画像のところで、それぞれのグループに何の画像か尋ねる。写っているのが消火栓だと見分けるのが早いのは、踏んだ段階の数が少ないほうのグループだ。それで?誰かに情報を与えれば与えるほど、その人が立てる仮説も多くなり、どんどん間違ったほうへ進んでいく。でたらめなノイズを見て、それを情報と勘違いするのだ。
問題は、私たちの思いつきはまとわりつくということだ。いったん仮説を立てると、私たちはなかなか考えを変えられない。だから仮説を立てるのは先延ばしにしたほうがいい結果になる。弱い証拠にもとづいて意見を決めないといけない場合、後から自分の意見に対立する情報が入っても、私たちはそれをうまく解釈できない。新しい情報のほうがどう見てもより正確であっても、だ。
ちなみにこの実験、1960年に初めて行われてから、何度も追試が行われて同じ結果が得られているとのこと。うーん、僕は「アハ体験映像」(画像の一部が変化しますから当てて下さい!というヤツ)が大の苦手なのですが、その理由も同じ所にあるのでしょうか。「人間はいったん意見を固めてしまうと、その意見に反する証拠は耳に入れようとしなくなる」とよく言われますが、それは目で見た映像の世界でも同じ話のようです。
それではタレブの言う通り、仮説を立てるのは先延ばしにした方が良いかというと、現実世界ではそうしてばかりもいられません。手持ちの情報だけで意思決定しないとライバルに先を越される、あるいは何らかのデッドラインに間に合わないという事態は多々発生するでしょう。とりあえず仮説を立て、それに基づいて行動する。その一方で、仮説に行動を縛られてしまうことを防ぐためにはどうしたら良いか――タレブは「仮説を肯定する情報ではなく、否定する情報を集めよ」と説いています。人は放っておいても自分に都合の良い情報を集めてしまうものだから、都合の悪い情報を意識的に探していくようにしないといけないわけですね。
仮説に基づいてグイグイと前進する一方で、ウジウジと自己否定を続ける。マトモな人間なら頭がおかしくなってしまいそうですが、だからこそ自分と意見が違う人々と積極的に付き合って、「否定役(もしくは肯定役)」を演じてもらわなければならないのでしょう。また自分が依拠している仮説をできるかぎり多くの人々に知らしめて、反対意見が出やすくするという努力も欠かせないと思います(ネガコメが怖いからブログは書かない、というのはダメですよと)。いずれにしても、情報が多くなれば多くなるほど、それに比例して反証を集める努力を増やしていかなければならないのでしょうね。
例して反証を集める努力を増やしていかなければならないのでしょうね。
投稿情報: nike sneakers | 2009/07/16 11:54
例して反証を集める努力を増やしていかなければならないのでしょうねh
投稿情報: jordan | 2010/03/13 10:28