以前ちらっと触れましたが、最近『豚インフルエンザ事件と政策決断―1976起きなかった大流行』という本を読んだので、改めてご紹介しておきたいと思います。
まずは改めて、本書がいったいどんな存在なのか、本書自体から解説を抜粋しておきたいと思います:
1976年、合衆国政府は、豚インフルエンザと呼ばれる新型のウィルスによるインフルエンザの世界規模の大流行の脅威から国民を守るために、全国民へのワクチン接種事業に着手しました。前代未聞の大規模な試みでした。ワクチンを受けた人数――10週間で4,000万人以上――といった点では、まずは限定付き成功だった反面、論議の沸騰、計画からの遅れ、行政上のトラブル、法的紛糾、予想外の副作用の出現といった出来事が相次いで起きたために、この試みについては公衆衛生当局に対する国民の信頼を急速に失墜させてしまったという評価があるのも事実です。そして何より予想していた脅威はやって来ませんでした。
この試みが終わりを迎えた頃、私たちは、当時新しく保険教育福祉省(HEW)の長官に就任したばかりだったジョセフ・カリファノ氏から、この事業の全体像について検討し、自分が将来同じような問題で決断を下したり事業を監督したりしなければならないときの参考資料として、個人的に学べるような形で報告書を提出してくれないかと依頼されました。私たちはそれを引き受け、1年後の1978年2月の終わりに草稿の形で報告書を提出しました。そしてその後、長官の合意の下、3月から6月にかけてこのレポート草稿をつくるに当たって中心的な役割を果たした何人かとともにこの草稿の見直し作業を行い、また長官の要求に応えてさらにいくつかの点について調査を行い、6月に最終報告書を提出しました。そして1978年10月、長官はそれを政府報告書『豚インフルエンザ事件――つかみどころのない病気に対する政策決定』として世に出したのでした。
つまり1976年に米国で起きた、対インフルエンザ政策の「失敗」を事例として、そこでどんな政策決定過程があったのかを明らかにした本なわけですね。ある程度一般向けの内容とはいえ、基本的には政府による報告書であり、しかも索引まで含めて全439ページというボリュームのため、読み終えるまでにかなり時間がかかるでしょう。しかしまさにいま、新型インフルエンザ対策という同じ問題に直面している日本において、本書は広く読まれるべき一冊だと感じています。
本書は別に、犯人捜しをするために書かれた本ではありません。著者自ら述べているように、この「失敗」を引き起こした原因は何だったのか、それを把握して後世に役立てることが目的です。確かに「コイツがここでこんな行動を取らなければ」というようなポイントはあります。しかし「なぜコイツはここでこんな行動を取ったのだろう?その背景にはどんな力学があったのか?そして今後どんな対策が取れるのだろうか?」と考えてもらうことが著者の願いであり、そうしたより深い分析に必要なデータが、紙面の許す限りまとめられています。
実際、本書には「1976年のアメリカ」ではなく、「2009年の日本」の問題点を指摘しているような箇所が随所にあります。例えば、全国民に対するワクチン接種が開始された後で、こんな事件が発生しています:
10月11日、ペンシルヴァニア州ピッツバーグで、3人の高齢者(彼らはみな心臓に持病を持った70歳以上の老人)が、同じ診療所を豚インフルエンザワクチンの接種を受けてまもなく死亡するという事件が起きた。地方紙の記事を見た抜け目のないUPI通信の記者がこの事件を電信で伝え、それに一連の記事が続く形で、パーク・デイヴィス社製の同じ製造ロットのワクチンがそれにかかわっているということが大々的に取り上げられた。ピッツバーグといえば複数のテレビネットワークのニュース局のお膝元である。ポータブルのテレビカメラをかついだ取材チームが、すぐさま現場に向かった。
その「本当の」因果関係に関わらず、国民のワクチン接種意欲をそぎかねない事件。普通に考えれば早急に何らかの対処を行わなければならない問題ですが、政府の対応は後手に回ります。その理由の1つとして、こんな一節があります:
このとき、クーパーは次のような幾分感傷的な発言をしている。10月14日、ジェイムズ・マクマナスによるCBSニュースのレポートである。
クーパー博士は、一見ワクチン接種に伴って生じたように思えるような死亡例も含め、この事業の周辺で起きうる数々の事象について、早いうちからもっとしっかり説明しておけば良かったと語っています。
だが、私たちが見た限り、そうしたことはまったく試みられていない。「たまたま関連しているような死亡例がいくつも出現すること」は、間違いなくハットウィックのサーベイランス・センターで予測していたことである。私たちは、それが時に高いレベルで協議されていたことは理解している。この問題はすぐにも起こりそうだった……が、それだけだった。あらかじめ説明しておこうといった話は、そうした情報が一般の人たちに流れることを前提に、そしてその結果人々が警戒してしまうようなことになれば、ワクチン接種希望者が減ってしまうかもしれないという理由で排除されたのだった。
残念なことに、最近日本でも、インフルエンザのワクチン接種後に高齢者が死亡するという事件が起きてしまいました(参考記事)。幸いこの事件がマスメディアによってセンセーショナルに取り上げられる、という事態には至っていませんが、仮に「麻薬で捕まった芸能人の公判がある」「凶悪な逃亡犯が逮捕される」などといった「ネタ」の希薄なときに同じ事態が起きたら――ワクチン接種が必要な人が接種しようとしないという「逆パニック」が起きないとも限りません。もちろんそんな事態は既に想定してあって、本書など無くとも厚生労働省がバッチリ対処するよというのなら良いのですが。
また本書はインフルエンザ対策という保健政策を対象にしたものですが、「未来がハッキリと見通せない、また理解には専門的な知識が要求される問題に対して、どのように決断が下されるべきか」というテーマは、あらゆる分野に共通する問題のはずです。また政策立案者だけでなく、一般企業の中でも同じ問題に直面することが多いでしょう。その意味で、本書はいま読まれるべき本であると同時に、様々な分野で、また長期にわたって参照されるべき本だと感じています。
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そして最後にもう1つだけ。本書が広く読まれるべき、まったく別の種類の理由を、以下に引用しておきましょう。本書の訳者である、西村秀一博士の言葉です:
ところで本書を読んで感嘆するのは、行政内部のことを個々人へのインタビューも含めよくもこれだけ詳細に調べることができたということである。一方わが国では、残念ながら今のいままではH5亜型インフルエンザ対策にしろ今度のプレパンデミックワクチン問題にしろ、どのような議論がなされて物事が動いていったのか、後世の人々たちが調べようとしてもできない相談である。官僚の無謬性神話の陰で、政策決定の不透明さや判断の責任の所在のあいまいさがこれまで何度となく指摘されてきたことは、米国のこの事例と対極をなすものである。悪意や極端な不作為でない限り個人を責めるのではない。人は過ちを犯すこともあるということを前提に過ちを素直に認め、同じようなことを繰り返さないために、積極的にその原因を明らかにしていくような行政風土の育成が日本社会に望まれそのための行政の努力とそれを促す国民の監視が必要とされている。そしてそれには、結果的にどのような決定がなされようと、その決定までのプロセスを明快な記録として残すことが必須である。
しっかり読み取っていただき、ありがとうございます。
投稿情報: パンデミック | 2011/01/29 22:25