先ほどLifehacking.jpの堀さん(@mehori)が、こんなツイートをされていました:
"先日 @kengo さんが紹介していた「花しらべ」といい、 @akihito さんが紹介していた LeafSnap といい、知らないことをかわりに教えてくれるアプリは本当に夢のよう。全ての人の探す手間を消去して、その分誰もが想像的なことに向き合える。花をめでたり、花を思ったりと"(元ツイートへのリンク)
そう、こうしたツール(花しらべもLeafSnapも、スマートフォンを通じて簡単に草花を調べることができるものです)を使うことによって、私たちは「調べる」という行為に費やす時間を省くことができるわけですね。そして空いた時間を、何かもっと有意義な行為に使うことができると。
しかしこういった話をすると、「検索エンジンが人間をバカにした」「QAサイトなんてあるから自分で考えようとしなくなるのだ」的な反論が出てくるでしょう。この点については何度も激しい議論が行われているので、今回は(怖くて)深入りしませんが、ちょうどいま読んでいる本に面白い話があったので引用しておきたいと思います。
橋元良明さんの『メディアと日本人――変わりゆく日常』からの一節。長文引用になりますがお許し下さい:
古代ギリシアの哲学者プラトン(BC427-347)は現代に至るまで読み継がれる多くの書物を後世に残したが、『パイドロス』(成立はBC370年代)の中で、ソクラテスの口を借りて次のような伝説を語り、「文字」を批判している。
昔、エジプトの一地方に住む発明の神テウトがいて、神々の王タモスに言った。「(私の発明した)文字というものは、記憶と知恵の秘訣、これによりエジプト人たちの知恵はたかまり、もの覚えはよくなりましょう」。それに対しタモスが答えた。
「技術を生み出す力をもった人と、生み出された技術がそれを使う人々にどのような害を与え、どのような益をもたらすかを判別する力をもった人は、別の者なのだ。人々がこの文字というものを学ぶと、記憶力の訓練がなおざりにされるため、その人たちの魂の中には、忘れっぽい性質が植えつけられる。それは、書いたものを信頼して、ものを思い出すのに、自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことをしないようになるからだ。また、あなたがこれを学ぶ人たちに与える知恵というのは、知恵の外見であって、真実の知恵ではない。彼らはあなたのおかげで、親しく教えを受けなくてももの知りになるため、多くの場合、ほんとうは何も知らないでいながら、見かけだけはひじょうな博識家であると思われるようになるだろうし、また知者となる代わりに、知者であるといううぬぼれだけが発達するため、つき合いにくい人間になるだろう」。
(中略)
だとすれば「書かれた言葉は、ものを知っている人が語る、生命をもち、魂をもった言葉の影にすぎないのか」と問うたパイドロスにソクラテスは「そのとおり」と答える。
この言葉が文字を通じて伝えられるというのもなかなかの皮肉ですが、あらゆる新しいメディアは批判される運命であるにせよ、「文字」ですら批判する人がいたわけですね。プラトンが現代の検索エンジンを見たら、その瞬間に卒倒してしまうかもしれません(笑)
ただ幸運なことに、人類は文字を得ても、検索エンジンを得ても(今のところは)堕落することなく、むしろ文明を発展させてくることができました。それはこの「知恵の影」、つまり簡単に手に入れることのできる知恵(そしてそれを可能にする発明品たち)を怠けるために使うのではなく、より創造的な活動の行うために使ってきたからではないでしょうか。
そしていま、先ほどの花しらべやLeafSnapのように、新たな形で知識を届けてくれるツールが登場してきました。また友人との間で瞬時に情報を共有することのできるソーシャルメディアも、ある意味で「知恵の影」と言えるかもしれません。プラトンの言う「うぬぼれた人間」にならないためにも、こうしたツールが私たちに与えてくれる時間を有意義に使って行かなければならないと感じた次第です。
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