ネット社会は成熟するのか ---
日経BP社が開設しているサイト「SAFTY JAPAN」で、政治アナリストの花岡信昭氏が日本のブログ界を批判する記事を書かれていました:
■ これでいいのか? ブログ世界の理不尽な未成熟さ(連載コラム「我々の国家はどこに向かっているのか」)
詳しくは記事を読んでみて欲しいのですが、トリノオリンピックでの荒川静香選手の映像をめぐり、ブログ界で理不尽なNHK批判が起きたことを非難する内容です。その事件自体は花岡氏の言う通りで、NHKにはまったく非がないにも関わらずNHK攻撃するブログ(並びにNHKを擁護した花岡氏を攻撃するブログ)が続出したことは非難されるべきだ思うのですが、問題にしたいのは以下の部分:
総務省の予測によると、2007年3月末で、ブログの利用者は782万人、閲覧者は3455万人に達する見込みという。ネット社会の中軸たるべき存在となっているのだが、その実態たるや、きわめて陰湿、低次元でお粗末きわまりない。匿名で罵詈雑言、誹謗中傷を浴びせあう世界となっているのである。
(中略)
ブログはいわゆる「ネット・オタク」に占領されているのではないか。これを大人の世界にも通用するレベルに持ち上げないといけない。そのための方策を考えないと、成熟したネット社会は到来しない。
確かにブログ界、というより「2ちゃんねる」なども含めたネット社会は「陰湿で低次元でお粗末きわまりない」コンテンツで溢れています。「ネット・オタク」がどのような人々を指すのかは分かりませんが、現在のネット社会で積極的に発言する人々の傾向と言うべきものは確かに存在し、それは現実社会の傾向とは多少異なっています。だからと言って、ブログ界全体を否定するのは正しいのでしょうか?
ブログ界には「お粗末きわまりない」コンテンツが存在する一方で、既存のメディアにも適わない速報性と、分析力を持ったブログが多数存在します。例えば多くの方々が指摘されていますが、ソフトバンクによるボーダフォン買収に関するブログ記事には、新聞・雑誌でも読めないような優れた分析を行うものがありました。それらを取り上げて「だからブログは素晴らしい!」というつもりはありませんが(それでは花岡氏と同じ過ちを犯すことになります)、「NHKトリノオリンピック事件」だけがブログ界の全てではありません。それだけでブログ界を否定してしまっては、優れたコンテンツをも拒絶する結果になるでしょう。
そもそも、ブログ界に成熟を求めることはできるのでしょうか。「成熟」という言葉が、全てのブログが理性的で優れた分析を行うものになることを指すのであれば、それは不可能でしょう。そもそも既存のメディアも、「低次元でお粗末きわまりない」コンテンツで溢れています。そういったコンテンツは単に、現実社会の人々の思考を反映しているに過ぎません。「ブログ界は成熟しろ」と求めることは、「全ての人間は理性的で賢くあれ」と求めるに等しいことなのではないでしょうか。
ブログ界に必要なのは、これも多くの人が指摘されていることですが、「全てのコンテンツが成熟すること」ではなく「成熟したコンテンツを探しやすくすること」でしょう。また花岡氏が体験された集団成極化現象をいかに防ぐか、という議論も必要になってきますが、これはブログ界に限定された話ではありません(さらに言えば、日本の社会に限定された話でもありません)。「ブログだから」と言うよりは、社会心理の視点から対応策を考えるべきだと思います。
また僕は、逆説的に思われるかもしれませんが、「より多くの人々がブログ界に参加すること」も必要だと思います。若年層に偏ったいまのインターネットユーザーが、より現実社会に近い構成になれば、それだけ各世代の意見を表したエントリが書き込まれるようになるはずです。そういった状況で、先の「優れたコンテンツを探しやすくする仕組み」が実現されれば、ブログ界はより多くの人々にとって価値のある存在になると思います。
奇しくも、つい最近New York Timesのサイトがリニューアルされ、よりブログ界との関係を深める仕組みが実現されました:
New York Times Redesign (TechCrunch)
ブログ界でよく取り上げられる記事のランキングが表示されたり、記事からブログのエントリに対して直接リンクが貼られたりと、先進的な取り組みがされています。花岡氏の意見が日本のジャーナリズム「界」全体の意見だとは思いたくありませんが、もう少しブログを理解しようという姿勢があっても良いのではないでしょうか。
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